江戸幕府を支えた「勘定奉行」 身分制社会に花開いた実力主義の役職に迫る

大河ドラマ『青天を衝け』に登場した川路聖謨でも注目が集まる、江戸時代の勘定奉行。彼らはいったいどのような仕事を行っていたのでしょうか。ブログ「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」管理人の山下ゆさんが解説します。


身分制社会のなかにあった実力主義

 江戸時代は身分制の社会で、生まれによって就ける職業や地位が決まっていました。それは武士も同じで、幕府の重要なポストについたのは、基本的にそれなりの家格を持つ者だったのです。そんななか、家格を越えて出世できたのが、側(そば)用人などの将軍の側近と勘定方の役人になります。

 例えば、大河ドラマ『青天を衝け』で平田満さんが演じた勘定奉行の川路聖謨(としあきら)は、豊後日田の代官の手代の子であり、もとは幕臣ですらありませんでした。幕府のなかで例外的に実力主義がとられていたのが勘定所であり、そのトップである勘定奉行だったのです。

平田満が『青天を衝け』で演じた勘定奉行・川路聖謨(画像:NHK)

 今回紹介する藤田覚『勘定奉行の江戸時代』(筑摩書房)は、その勘定所のしくみや歴代勘定奉行の政策などを近世史の大家でもある著者がまとめたものになります。

 勘定奉行の働きだけでなく、江戸時代の経済政策の大きな流れとポイントが分かるのも本書の特徴といえるでしょう。

 勘定所は幕府の財政を預かるだけでなく、道中奉行を兼任し、幕府の司法機能を担う評定所の実務を担当しました。勘定所は幕府の財政・農政・交通・そして司法を担う中枢的な役所だったのです。

 そのトップである勘定奉行は、江戸時代のはじめからあった役職ではありません。幕府の財政と幕府領の支配行政を行う勘定頭という役職が寛永年間(1624~44年)に確立し、元禄年間(1688~1704年)に勘定奉行という役職が確立しています。

 勘定所には「筆算吟味」と呼ばれる採用試験がありました。幕府の試験制度としては「学問吟味」もありましたが、こちらがたとえ優秀な成績をとっても役職への登用が約束されたものではなかったのに対して、筆算吟味は採用試験であり、合格すれば採用されました。

 勘定奉行就任者213人のうち、目付から長崎奉行を経て勘定奉行になった「目付コース」を通った者が108人と過半数を占め、これは標準的な出世コースであったことが分かります。

 一方、

「勘定組頭 → 勘定吟味役 → 勘定奉行」

とたたき上げで奉行になった者は23人、全体の10%ちょっとにすぎませんが、これが勘定所のほかにはない特徴でした。

 町奉行において、与力や同心から町奉行に上り詰めたものはひとりもいませんが、勘定所では末端職員からトップへの出世が可能だったのです。

財政危機と戦った荻原重秀


【画像】武田真治さんが「青天を衝け」で演じた勘定奉行

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