童謡「赤い靴」の真実 女の子は異人さんに連れて行かれはしなかった
2020年5月1日
知る!TOKYO子どもの頃、誰もが1度は口ずさんだことのある童謡「赤い靴」。そこに歌われた女の子の数奇な運命をご存じですか? ノンフィクション作家の合田一道さんが、彼女の短い生涯をたどります。
東京でひっそり亡くなった、女の子の物語
赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠場(はとば) から 船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった
野口雨情作詞、本居長世(もとおり ながよ)作曲の童謡「赤い靴」が雑誌『小学女生』に掲載されたのは1921(大正10)年。ちょうど100年前です。

でもこの女の子、実は海を渡ることもなく、ひっそりと東京で亡くなっていた、というのです。
誰もが知る童謡へと歌い継がれるまでの軌跡
雨情がこの詩を書くきっかけになったのは1907 (明治40) 年、札幌の小さな新聞社「北鳴新報」の記者時代です。一軒家を借りて住まううち、新しく入社してきた鈴木志郎記者夫妻も同じ屋根の下で暮らすことになります。
この志郎記者の妻かよから、意外な話を聞くのです。
かよは静岡県生まれ。志郎と結婚する前に、佐野という男性との間に、きみという女の子がいたのです。でも、かよは未婚の母であり、きみは父を知らない「非嫡出子」扱いでした。かよは幼子を抱いて逃げるように北海道へ渡り、函館で過ごすうち、志郎を知ります。
開墾(かいこん)を目指す志郎に求婚されたかよは、幼いきみを連れていくのは無理と断ります。そこへ別れたはずの佐野が現れ、東京にいるアメリカ人宣教師夫妻が養女を欲しがっていると伝え、きみを手放すよう勧めます。
かよは涙ながらにきみを宣教師夫妻に託したのでした。

志郎とかよは北海道の留寿都(るすつ)村に入植し、開墾にいそしみますが、やがて夫妻で札幌に移り、新しい暮らしを始めたのでした。
雨情は、その女の子がいまはアメリカでどんな暮らしをしているのかと思い、後に東京に移ってから雑誌に発表したのです。「赤い靴」は大評判になり、誰もが口ずさむようになりました。
昔は「人さらい」がいるといわれ、子どもが悪いことをすると、「異人さんに連れていかれるぞ」などと脅されたものです。異人さんに連れられて船で遠い異国へ旅立った女の子への物悲しい思いが、美しい旋律と重なって人々の心を揺さぶったのでしょう。

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