東京の駅ビルが「おしゃれ」に変わったのはいつ頃? 意外過ぎる歴史に驚いた
2021年12月5日
知る!TOKYO現在、東京の駅ビルにはおしゃれなイメージがありますが、わずか30年前まで様子は異なっていました。鉄道ライターの弘中新一さんがその道のりを解説します。
おしゃれな駅ビル登場は国分寺から
東京のターミナル駅の駅ビルはどこも店舗が充実しています。グルメからファッションまで、その時代に合ったテナントが入居しているため、駅から出なくても十分事足りるほどです。駅ビルが本格的におしゃれになったのは、国鉄の分割民営化後、1980年代後半からです。その先鞭(せんべん)をつけたのが、東京都国分寺市にある国分寺駅の国分寺エル(現・セレオ国分寺)でした。

この駅ビルがオープンしたのは、1989(平成元)年3月1日です。JR東日本などが出資し、オープン当時で地下2階、地上9階の売り場面積は計2万平方メートル。オープン当時は、丸井国分寺店をキーテナントに、専門店69店舗と飲食17店舗が入居していました。
注目の背景にあった中央線文化
中央線沿線の駅ビル建設は、1980年代前半から始まっていました。
1981(昭和56)年には荻窪駅のルミネ荻窪、1982年には立川駅のWILL(現・ルミネ立川)、1983年には八王子駅のナウ(現・セレオ八王子)がオープン。そうしたなかで、前述の国分寺エルが注目を集めたのは理由がありました。

国分寺はもともと、吉祥寺・高円寺と並んで「三寺(さんでら)」と呼ばれる中央線文化の中心地でした。
駅の周りには多くのジャズ喫茶と古本屋。常に若者であふれ返っていました。なかには大学卒業後も就職せずにブラブラしたり、店を開いて住み着いたりする若者もいて、独特の文化が根付いていました。
世界的なベストセラー作家・村上春樹(1949年生まれ)が作家になる以前、国分寺でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を営んでいたことはよく知られています。
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