東京周辺に存在する三つの「ムサコ」
街の名前は
「二子玉川 = ニコタマ」
など、たびたび略されます。しかしみんなが同じ略し方をするわけではなく、ときに混乱が起こることも。というわけで今回は、東京周辺に存在する三つの「ムサコ」について探ります。
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数年前――中央線沿線の多摩地域にある大学に赴任した男性は、あるとき、学生から伝えられた内容に驚きました。
「先生、ゼミの飲み会はムサコでいいッスか?」
(ムサコ……? ここから武蔵小杉〈川崎市〉へ行くわけじゃないだろう? 妙な質問だな……)
ためらいながら男性は「えっと、武蔵……小金井?」と、なんとか近くの駅名を絞り出しました。
「そッス」と学生が答えたので、男性はひと安心。神奈川県出身の彼にとって「ムサコ」とは武蔵小杉でした。
とはいえ、武蔵小杉のことを「ムサコ」とは呼ばないと男性はいいます。「小杉」と呼ぶのが地元では一般的だそうです。
アンケートで半数以上は「武蔵小杉」支持
飲み会の当日、男性は同じく神奈川県出身で、東京の城南地区の高校に通っていた学生と話しました。そこで、武蔵小金井をムサコと呼ぶことに違和感はないかと聞いてみることに。
するとその学生も「ムサコって武蔵小杉のことだと思っていました」と答えたので、「やはりそうだよな」と、なんとなく安心したそう。
しかし、ほかの学生は先輩や後輩もみんなムサコといえば武蔵小金井と信じて疑わないので、いまでは「ムサコといえば武蔵小金井のこと」と受け入れているとか。
でもその学生も「実際には武蔵小杉はムサコではなく小杉って言いますね」と男性と同じ考えでした。ふたりはしばし、真のムサコがどこかを考える「ムサコ談義」を行いました。
結果として、導き出した結論は「武蔵小山」でした。
「武蔵小山についてそんなに詳しくは知らないけれど、ムサコは武蔵小杉じゃないし、武蔵小金井でもない。それなら武蔵小山がよいのではないだろうかという消去法です」
。
筆者も約20人に聞いてみました。その結果、
・武蔵小杉:11人(55%)
・武蔵小金井:7人(35%)
・武蔵小山:2人(10%)
という結果でした。
これをどうとらえるべきなのか、その理由をそれぞれの街の成り立ちに探してみます。
当初は存在しなかった武蔵小杉駅
日本屈指のタワーマンションエリアとして知られる武蔵小杉。JR南武線、横須賀線、湘南新宿ライン、相鉄・JR直通線、東急東横線、東急目黒線と、計6路線の列車が最寄りの武蔵小杉駅に乗り入れており、利便性の高さはピカイチです。
ランドマーク的な「グランツリー武蔵小杉」を始め、「武蔵小杉東急スクエア」「ららテラス武蔵小杉」などのショッピングセンターも豊富で、日々多くの人に利用されています。
武蔵小杉の街は3ha以上にも及ぶ工場やグラウンドの跡地を再開発してつくられました。かつては下町っぽいイメージがあったものの、再開発によって超高層のタワーマンション群が出現したことで、一躍人気のエリアに変貌。地価は上昇し、住みたい街ランキングの上位常連に。
再開発にあたって、川崎市は武蔵小杉を、
・都心:川崎
・副都心:溝の口、新百合ヶ丘
に次ぐ、第3都心と指定しました。
武蔵小杉の再開発は、住・商・医の整った「コンパクトな街」が視野に入れられました。東西南北のエリアに分けられ、道路なども含めた計画的な建設が進んだ結果、現在のような姿になったのです。
乗り入れ路線も増え、他地域とのネットワークも抜群な環境です。一方、広がりすぎて「ここも武蔵小杉?」といえる場所も武蔵小杉と呼ばれているのが現状です。武蔵小杉ブランドがそれほど定着した証しなのかもしれません。
初期は通勤客のみの乗降だった武蔵小杉駅
東急東横線は1926(昭和元)年、丸子多摩川(現・多摩川)~神奈川(現在は廃止)の間の路線が開通しました。しかし、当初は現在の武蔵小杉駅付近に駅は設置されていませんでした。また、翌1927年3月には南武鉄道線(現・JR南武線)の川崎~登戸間が開通していますが、このときにも駅は設置されませんでした。
11月になってから向河原~武蔵中原間にグラウンド前停留場と武蔵小杉停留場が開業。このとき現在の武蔵小杉駅の位置につくられたのがグラウンド前停留場で、武蔵小杉停留場はさらに西、国道409号(府中街道)と交差する位置につくられました。
武蔵小杉駅が現在の位置に開業するのは1944年のことです。武蔵小杉停留場は廃止され、グラウンド前停留場が武蔵小杉駅と改称。翌1945年に東横線も南武線と交差する位置に武蔵小杉駅を開業させます。ただし、初期は通勤客のみしか乗降できない駅でした。
このように、現在の武蔵小杉周辺は鉄道が開業してもしばらくの間、駅のない「小杉」であり、武蔵小杉になるまでには時間を要しました。このあたりに地元の人が「小杉」と呼ぶ理由を見いだせそうです。
「武蔵小杉 = ムサコ」は官製の愛称ともいえます。なぜなら、川崎市が武蔵小杉地区の再開発にあたって命名したのが「MUSACO」だからです。さらにタワマン居住者の増加とともに、2010年代の女性誌がニューセレブ層として「ムサコマダム」をフィーチャーしました。しかし、どちらも地元には根付いていない様子です。
一方、地元以外には「武蔵小杉」の名と「ムサコ」の略称が同時に広まっていきました。「ムサコ = 武蔵小杉」の認識を持っている人が多いのは、再開発とブランディングのたまものといえるでしょう。
武蔵小山ではなじみが薄い?
さて武蔵小山といえば、全長800mの「武蔵小山商店街パルム」でもおなじみの東京都品川区の街。最寄りは東急目黒線の武蔵小山駅で、周囲には住宅地が広がっています。
武蔵小山駅は、当初は「武蔵」の付かない「小山駅」でした。しかし、東北本線にも同じ漢字を使う「小山(おやま)駅」があったため、のちに変更されて「武蔵小山駅」となりました。
武蔵小山近辺を調べてみたところ、武蔵小山周辺にムサコを使った名称の店舗などは少ないようです。偶然にもグーグル検索でムサコの名の付くクリニックがヒットしましたが、この街ではムサコという呼び方はほとんどなじみがなさそうです。
同じ沿線に実家のある知人にも取材してみたところ、やはり「地元ではムサコとは呼ばないのではないか」と話してくれました。
それでも「ムサコは武蔵小山」と答える人が一定数いるのは、先の男性のように
「武蔵小杉はコスギだし、武蔵小金井は思いつかなかった」
という人の存在が大きいと考えられます。
テレビ番組のロケで商店街がよく使われるようになったとはいえ、まだ東京ローカルの色が強い武蔵小山を知らない人も多いでしょう。
「ムサコ」を押し出す武蔵小金井
武蔵小金井駅は東京都小金井市にある中央線の駅です。武蔵小金井は小金井公園(関野町)や江戸東京たてもの園(桜町)などが存在する郊外の住宅地といった趣。少し離れたところに東京学芸大学(貫井北町)があり、早稲田実業学校(国分寺市本町)などがある隣の国分寺駅とあわせて、広域の文教地帯を形成している一帯の中核です。
武蔵小金井駅周辺では、2000年代から駅周辺の再開発が進められ、相次いでタワマンが誕生。新規オープンの商業施設も多く、それらには「武蔵小金井」が冠されていました。2018年には高架下が「nonowa(ノノワ)武蔵小金井EAST」「nonowa武蔵小金井WEST」に生まれ変わっています。
一方で同じく高架下の「nonowa武蔵小金井・ムサコガーデン」では、「ムサコ」の名前が前面に押し出されています。nonowa小金井のホームページにも「ムサコスタイルをご提案」とあります。
nonowaを経営するJR東日本コミュニティデザイン(小金井市本町)をはじめとする関係各所には、「武蔵小金井こそがムサコ」という意識や、武蔵小金井をムサコとして定着させようという思惑があったのかもしれません。
もっとも、2020年にツインタワーのマンション完成とあわせて開業した商業施設の名称は、「ソコラ武蔵小金井クロス」とムサコは使用されませんでした。
しかし、駅北口にある商店街は「ムサコ一番街」。地元の人もムサコという略称に慣れ親しんでいるようです。それは、武蔵小金井駅が他の駅とは違い、開業当初より武蔵小金井だったことと関係が深いように感じます。
始まったときから「武蔵小金井」
1924(大正13)年の武蔵小金井駅開業以前、すでに栃木県下野市には東北線の小金井駅がありました。また、西武多摩川線にも新小金井駅が存在しており、「武蔵小金井」に決まったという経緯があります。この名づけの方法は、先の武蔵小山と似ています。
つまり、この街は始まったときから「武蔵小金井」であり「武蔵」の冠はなくてはならないもの。地元住民でなくとも、土地への愛情をこめて「ムサコ」と呼んでいるのです。この駅を使う学生たちも先輩から受け継いだ「ムサコ」を使い、親しみとともに連綿と使い続けていくでしょう。
三つのムサコ、どれかが正しくどれかが誤りということはありません。それぞれのムサコにはそれぞれのカラーがあり、いずれの街も独自の進化を遂げています。いずれ、「ムサコサミット」が行われたら面白いかもしれません。
工場地帯を生まれ変わらせ、摩天楼のごときタワマンがいまなお増殖し続ける武蔵小杉、下町の風情そのままに商店街都市として異彩を放つ武蔵小山、タワマンの街に進化しつつも、郊外の風情がいまなお残る武蔵小金井
あなたのムサコは、どの街ですか?