ビートたけし『浅草キッド』――人生に大切なことの大抵は、本とラジオと音楽から教わった 台東区【連載】ベストヒット23区(最終回)
たけしを浅草へと向かわせた1冊 東京から遠く離れた大阪出身の私(スージー鈴木。音楽評論家)が、東京23区それぞれに考察を深める連載企画を思い付いたのは、東京生まれで、かつ「東京論」に定評のある作家へのあこがれがあったからです。 その人の名は小林信彦。特に彼が当初「中原弓彦」名義で、主に自分の実経験だけをもとにして書ききった『日本の喜劇人』(新潮文庫)は、私にとってライフタイム・ベストの1冊。 つまりこの本は、私のちっぽけな人生を変えた1冊ということになりますが、もうひとり、この本で人生を変えた人物がいます。 水道橋博士『はかせのはなし』(KADOKAWA)の中で、その人物に博士が「芸人になってから、中原弓彦(小林信彦)の『日本の喜劇人』は読まれたのですか?」と質問するシーンがあります。 対して、その人物はこう答えます――「あのよォ、それは逆で『日本の喜劇人』を読んだから、俺は決心して浅草に行ったんだよ」。 「衝撃的でした」と博士が書いていますが、私にとっても、それはまさに「衝撃的」でした。私のちっぽけな人生を変えた1冊が、あの人物の、あのダイナミックな人生の起点となっていたとは。 もうお分かりですね。その人物の名はビートたけし。 芸人・ビートたけしが生まれた浅草の街(画像:(C)Google) 台東区・浅草から芸人生活をスタート。1980(昭和55)年の「漫才ブーム」で一気にブレーク。そして翌1981年の元日、「元旦や 餅で押し出す 二年グソ!」という破廉恥なひと言で、日本全国の若者を、一気にとりこにしてしまいました。 このひと言は、伝説のラジオ番組 = 『ビートたけしのオールナイトニッポン』の、伝説の初回の、伝説の冒頭に放たれたもの。そしてこの番組が、何人、いや何千人もの「たけしチルドレン」の人生を変えていきます。 『あまちゃん』にも描かれた台東区『あまちゃん』にも描かれた台東区 そのひとり、宮藤官九郎。 ――「高校生のとき、よくたけしさんのラジオにネタハガキを送っていて。自分の書いたネタをたけしさんがたけしさんの声で読んでくれるのがすごく嬉(うれ)しくて、そういう3年間を過ごしたんですね」 TBSラジオの公式サイト「宮藤官九郎『ビートたけしさんへの思い』」に書かれていた、宮藤官九郎本人の発言です。 そして彼は、どちらかと言えば、ビートたけしというよりも、番組内で相手役をしていた放送作家・高田文夫の方角に引き寄せられ、宮城県から上京、日本大学芸術学部に進学し、高田の後輩となります。 そして、あれよあれよという間に、脚本家「クドカン」として時代の寵児(ちょうじ)となり、いよいよ全国区となったのが、NHK朝ドラ『あまちゃん』(2013年)。 日本中に感動を呼んだNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』(画像:NHKオンデマンド) この『あまちゃん』、岩手と東京を舞台としたドラマだったのですが、東京編の舞台となっていたのが台東区でした。 天野アキ(能年玲奈)がアイドルを目指して上京。加入したのは「アメ横女学園芸能コース」(アメ女)で、台東区のアメ横にある設定。合宿所「まごころ第2女子寮」は谷中で、こちらも台東区。そう言えば、台東区にあるJR上野駅も、何度となく登場しました。 さらに、宮藤官九郎が手掛けたNHK大河ドラマ『いだてん』で、ドラマ前半のシンボルとなっていたのが浅草凌雲閣(浅草十二階)。関東大震災(1923年)で上部が崩壊した凌雲閣近辺で、シマ(杉咲花)が行方不明になる悲劇的なシーンが忘れられません。そして、当のビートたけしも古今亭志ん生役で出演――。 と、宮藤官九郎の代表作を見ていくと、台東区・浅草から芸人生活を始めたビートたけしに強い影響を受けた宮藤が、台東区に恩返しをしているような感じに見えるのですが。 フランス映画のような美しさをまとってフランス映画のような美しさをまとって そして、もうひとりの「たけしチルドレン」として、先に紹介した水道橋博士を外すわけにはいきません。 岡山県倉敷に生まれ、『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聞き込み、トークの内容を詳細なメモにするほど耽溺(たんでき)。揚げ句の果て上京し、ビートたけしと同じ明治大学に進学。自ら志願して、たけしの弟子となります。 先の水道橋博士『はかせのはなし』によれば、師匠もかつて出演していた浅草のストリップ劇場 = フランス座で修行を積んでいた頃、博士はある曲を耳にします。 ――ある晩、一緒にフランス座で住み込み修行をしていた、たけし軍団の先輩が「この歌、聴いてみぃ!」と、ラジカセで1本のテープをかけました。 そこに流れてきたのは、兄弟子・グレート義太夫さんが弾き語るデモバージョンの『浅草キッド』でした。 2019年のNHK紅白歌合戦ではビートたけし本人が歌い、話題となった『浅草キッド』(画像:ビクターエンタテインメント)「♪お前と会った 仲見世(みせ)の 煮込みしかない くじら屋で」――あの素朴なメロディーが流れるフランス座の小さな楽屋。「ぼくたちは息を呑み、気がつけば涙が流れ出し、時が止まったかのように、毎夜、聴き入ったものです」と、博士は記します。 おそらくはむさ苦しかった楽屋でしょうが、フランス座だけに、フランス映画のワンシーンのような美しい光景のようにも思います。そして水道橋博士は、漫才コンビ「浅草キッド」としてデビュー、加えて文筆家として、多くの名文・名著を残していきます。 どの街にも素晴らしい音楽は流れていたどの街にも素晴らしい音楽は流れていた 小林信彦『日本の喜劇人』の「はじめに」はこう締められています――「とにかく毒気とアクの強い人たちの肖像画である。(中略)ふつうの人とつき合うつもりだと、えらいことになる。そのつもりで読んでいただきたい」。 筆者と、ビートたけしの人生を変えた1冊『日本の喜劇人』(画像:新潮文庫) 大阪生まれの私が、資料を片手に、グーグルマップを片目に書きつづった「ベストヒット23区」は「とにかく毒気とアクの強い街と人の肖像画」だったように思います。ただ、それでも、どの区にも、その区らしい、素晴らしい音楽が流れていました。 「ベストヒット台東区」は文句無しで、ビートたけし『浅草キッド』で決定しつつ、この連載を締めたいと思います。ご愛読ありがとうございました。
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