日本から突然「大みそか」が消えた?――明治6年、人々を混乱させた「改暦」の記録

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日本から突然「大みそか」が消えた?――明治6年、人々を混乱させた「改暦」の記録

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合田一道

ノンフィクション作家

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年末が近づいて来ました。1年を振り返るとともに新年に思いをはせる「大みそか」。この大切な日が突然なくなってしまったら――? 明治5年から6年にかけ日本人が大混乱した「改暦」について、ノンフィクション作家の合田一道さんが紹介します。

もしある日、突然法律が変わったら

 世の中の決まり事が変わると、暮らし向きはしばらくの間、混迷します。

 2020年12月現在は、新型コロナ禍に振り回されて、緊急事態宣言に従って家に閉じこもったり、逆に政府の観光支援事業「GoToトラベル」キャンペーンに乗って旅行へ出たりと、落ち着かない日々です。

 東京では10月に「GoToトラベル」の対象に追加されたと思ったら、11月には感染拡大「第3波」が確認されたことにより高齢者などへの利用自粛が呼び掛けられるなど、難しい対応が続いています。

 でもこれらはいわば緊急、突発的な事態への対応によるものであり、収束すれば元に戻るという期待があります。

 しかし法律が突然、変わったらどうなるでしょう。

 わが国では、それまで用いられていた暦(こよみ)が、ある日突然変わったという話をご存じですか。

明治5年12月、「太陰暦」から「太陽暦」へ

 日本の暦は、明治維新前までは「太陰暦」でした。それが1872(明治5)年の12月2日を期してこの年は終わり、以降は暦を「太陽暦」に変えて、翌日を1873年1月1日にしたのです。

 つまり、暮れも大みそかもないまま正月が来たというわけです。

文部省より太陽暦普及のため発行された「明治六年癸酉頒暦」(画像:合田一道)



 なぜ改暦を急いだのかというと、開国以来、太陽暦を用いる西洋と太陰暦を使う日本の間にズレが生じ、外交などでしばしば不都合が起こり、困り果てていたのです。

 太政官(だじょうかん)、つまり政府は国民に対して、事前に改暦を告知しましたが、国民は何のことやら理解しないまま、急に正月が来てしまったのです。

 この時期、庶民の間では、借金を年末までに返済するという習慣があったので、そこここでトラブルが起こりました。

 一番問題になったのが長屋住まいの家賃の支払い。1年分まとめて年末に支払うのが慣例なのに、今年はまだ11か月に入ったばかりで取り立てに来た、払えるわけがない、というわけです。

 取っ組み合いのけんかも起きています。

 困惑した太政官は、国民に対して「新しい年になった」とあらためてお触れを出し、管轄下の役所には新年の儀式を開くよう命令を出す騒ぎでした。

 でも役人もぴんと来なかったようで、5日になって新年の式を開いた、という記録が残っています。

ふたつの暦の違いとは

 ふたつの暦はどう違うのか。

 太陽暦は地球が太陽の周囲を1公転する時間を1年とする暦で、1年を365日として12か月に分け、4年に一度、2月にうるう日を1日、設けます。

太陽暦による混乱を報じる「日要新聞」第57号(画像:合田一道)



 太陰暦は1年を12月に分け、1か月を29日か30日とし、途中でうるう月をはさんで1年の長さを調整します。だからふたつの暦は全く違うのです。

 新しい暦が登場して、役人たちから不満が出だしました。たとえ2日間とはいえ1872年12月分の給料はどうなるのか、というものです。

 太政官は慌てて「給与は支払わない」と布告して、何とか動揺を抑えました。

似た混乱 「数え年」と「満年齢」にも

 もうひとつ違う話をします。

 明治政府が定めた国民の義務の中に、男性は数え年20歳になると徴兵検査を受けるというものがありました。現在の高校卒業の翌年に当たります。

 検査に合格した男性は徴用され、戦地へ赴くのです。

 1941(昭和16)年、太平洋戦争が起こると、政府は「18歳」以上の男性を兵役につけるようにし、さらに戦局がひっ迫化した1944年10月18日には「17歳」までに引き下げたのです。

結婚相手の年齢が聞いていたのと違った

 数え年17歳は現在の高校1年生。国中が戦争一色だったことをうかがわせますが、誰も抵抗できませんでした。

 戦争が終わり、暮らしを一変させたのが1950(昭和25)年1月施行の「年齢の唱え方に関する法律」です。ここには次のように記されています。

「国民は、年齢を数え年によつて言い表す従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年齢(一年に達しないときは、月数)によつてこれを言い表すのを常とするように心がけなければならない。」

 今後は満年齢を用いるので、そのように言い表すよう心がけよ、というのです。でも初めの頃はそこここで混乱が起こりました。

 結婚相手の女性が自分より年齢がひとつ下だと伝えられていたのに、式後に実施はひとつ上の「姉さん女房」とわかり、紛争になった例もあるといいます。

「六法全書」に見る「年齢の唱え方に関する法律」の条文(画像:合田一道)



 また作業員募集に「成人男子」として貼り紙を出したところ、満年齢で18、19歳がたくさん混じっていたのです。

 これは前述のように長く数え年20歳で徴兵検査があり、この検査を受けて初めて大人と見なされるという経緯があったためです。

暮らしに密接した法律・規範の見直し

 ところで満20歳を分岐点とする少年犯罪は、難しい問題をはらんでいます。

 事件が起こり、犯人(容疑者)が逮捕されて、年齢が未成年だと少年院に送致されますが、20歳を1日でも過ぎていると成人扱いになります。

 1968(昭和43)年、連続射殺事件の犯人を警察が現行犯逮捕したところ、年齢が19歳10か月と判明。本来ならマスコミも仮名で通すのですが、警察は犯行の凶悪さから実名を発表しました。新聞も一部を除いて実名で書きました。

 以後、これが少年犯罪をどこで線引きするかのモデルケースになりました。「永山事件」といいます。

 2020年現在は選挙年齢が18歳まで引き下げられ、少年法の改定にまで話が広がっています。

 暦の話から満年齢、少年犯罪の話まで、飛び飛びになりましたが、日常の暮らしに大きく関わる法律(規範)の見直し・変更は、その時代その時代に合わせてさまざまに行われてきたのです。

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