隅田川いまむかし 「鉄道橋」にみる戦前・戦後の風景とは

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隅田川いまむかし 「鉄道橋」にみる戦前・戦後の風景とは

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広岡祐

文筆家、社会科教師

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90年あまりの年月を経た現在も、美しい姿を見せ続ける隅田川の鉄道橋について、文筆家の広岡祐さんが解説します。

美しい姿は現在も

 東京の東部を流れる隅田川は全長23.5km。荒川の下流部にあたる一級河川です。

 近年は川沿いに遊歩道が整備され、川面を間近に眺めながら散策できる場所が多くなりました。コロナ禍の昨今も、早朝のウオーキングやジョギングを楽しむ人たちが見られます。

 川をまたぐさまざまなデザインの橋も、隅田川の大きな魅力のひとつです。江戸時代には風情ある木橋が浮世絵の画題になり、近代に入ってからは関東大震災の復興事業で完成した多くの橋梁(きょうりょう。橋)が、90年あまりの年月を経た現在も美しい姿を見せています。

 今回はそれらの橋の中から、隅田川にかかる鉄道橋にスポットを当ててみます。

浅草名所・花川戸の鉄道橋

 まず紹介する写真は戦前の絵はがきです。中央上部の横長のビルディングが、1931(昭和6)年築の浅草松屋デパート(現・浅草EKIMISE)。2階部分が東武鉄道浅草駅です。建物を出た線路が、急カーブを描いて隅田川を渡っているのがわかります。

浅草周辺の空撮写真が載った戦前の絵はがき。浅草駅を出た線路に注目。左手の吾妻橋も1931年の完成(画像:広岡祐)



 浅草駅を出発した東武伊勢崎線(東京スカイツリーライン)の電車がわたる全長166mの鉄道橋が、東武鉄道隅田川橋梁です。浅草花川戸と対岸の向島を結ぶことから、「花川戸鉄道橋」の別名があります。

今も残る戦前の風景

 東京スカイツリーの展望台から、この絵はがきとほぼ同じ角度の風景を見ることができました。

ビルの立ち並ぶ現在の浅草駅周辺。川沿いに延びていた隅田公園の遊歩道は、首都高速の高架に覆われている(画像:広岡祐)

 松屋デパートと駅前の神谷バー(1921年)、東武線の橋梁と吾妻橋、北十間川合流部の枕橋(1928年)などは戦前のままです。

 手前左手にあったアサヒビール吾妻橋工場は1980年代に取り壊され、リバーピア吾妻橋とよばれる高層ビル群に姿を変えています。

景観を壊さないよう配慮された橋のデザイン

 さまざまなデザインの橋がかかる隅田川ですが、この鉄道橋が上部に大きなトラス(部材を三角形に組み合わせていく構造)やアーチなどの鉄骨をもたない構造になっているのは、両岸に設けられた隅田公園(1931年完成。台東区浅草・花川戸・今戸、墨田区向島)の景観を壊さないようにしたためとか。

 また車窓からの眺めにも気を配り、構造物が電車の窓を覆わない高さになっているのも特徴です。

隅田川上をゆく特急列車。花川戸鉄道橋は駅ビルと同じ1931年の完成(画像:広岡祐)



 隅田公園は震災復興公園として整備されたもので、日本では最初期の本格的なリバーサイドパークでした。ちなみに隣接する言問橋と吾妻橋も景観に配慮した「上路形式」とよばれるすっきりとしたデザインになっています。

遊歩道の新設で新たな魅力も

 花川戸鉄道橋のもうひとつの特徴は、橋の上に渡り線のポイントが設けられているために、制限速度が15kmになっていること。

 隅田川をゆっくりと横切る列車の姿は、浅草では長く親しまれてきた風景となっています。隅田公園は今も昔も桜の名所で、春には車窓から美しい桜並木を楽しむことができます。

 2020年6月、この鉄道橋に、遊歩道「すみだリバーウォーク」が完成しました。

すみだリバーウォーク。北十間川沿いの高架下につくられた商業施設「東京ミズマチ」への最短ルートとなる(画像:広岡祐)

 東京スカイツリー方面への連絡通路として活用されており、鉄橋上の電車を間近に見ることのできるスポットとしても人気をあつめています。

東京と房総半島をむすぶ橋・JR総武線隅田川橋梁

 1932(昭和7)年完成の両国橋の上流に位置するのが、JR総武線の隅田川橋梁。浅草橋駅と両国駅の間に位置しています。

総武線隅田川橋梁。設計者の田中豊は帝都復興局の橋梁担当で、永代橋や清洲橋も手がけた(画像:広岡祐)



 房総方面へのターミナルだった両国駅から、総武本線をお茶の水駅まで延長するために架けられた鉄道橋で、両国橋と同年の1932年に完成しました。

 この鉄道橋から西へ延びる高架線は、大きなアーチの連続するダイナミックな造形で、絵はがきにも登場した戦前の東京名所でした。

 スマートな曲線を描くこの橋はランガーアーチとよばれ、アーチ部分と桁の両方で荷重を支える構造になっています。この橋のちょうど下あたり、隅田川の川底をくぐるかたちで、東京駅地下ホームを起点とする総武快速線の線路が走っているそうです。

今は無き交通博物館の絵画にも登場

 神田須田町にあった交通博物館には、鉄道や運輸に関連したさまざまな絵画が展示されていたのをご記憶の人もいると思います。

 館内の中央階段わきに、日本画家・松宮左京(1886ー1971)が描いた作品が長く飾られていました。

今はなき交通博物館の階段室に飾られた松宮左京の作品『両国風景』。クラシックな自動車にも注目(画像:広岡祐)

 これは1935(昭和10)年頃の総武線のガードと隅田川橋梁を描いた日本画で、完成間もない高架線の姿を伝える興味深い作品でした。

 現在もJR両国駅前からほぼ同じ風景を見ることができます。

千住の鉄道橋を眺める立ち並ぶトラス橋

 千住大橋が架橋されたのは1594(文禄3)年。隅田川にかかった最初の橋でした。

 松尾芭蕉は『奥の細道』の旅で門人・河合曾良(そら)とともに深川を出発し、隅田川をさかのぼって千住大橋付近から奥州へと旅立ちました。現在の大橋はやはり関東大震災のあと、1927(昭和2)年に完成したもので、荒川区と足立区を結ぶ日光街道の要所となっています。

 この千住大橋の300mほど下流に、3本の鉄道橋が並んでいます。

上空から見た千住の鉄道橋(2010年撮影)。常磐線の鉄橋にさしかかる列車は、今はなき651系の特急スーパーひたち(画像:広岡祐)

 双子のように見える茶色のトラス橋がJR常磐線とつくばエクスプレス、少し背の低い銀色のトラスが東京メトロ日比谷線の隅田川橋梁です。

 これらの橋の南詰は千住汐入とよばれ、昭和の後半は広大な工場の跡地と懐かしい木造住宅が密集する街並みでしたが、再開発によって高層住宅が立ち並ぶ風景に一変しました。

都心の鉄道橋が持つ独特の魅力

 21世紀の初頭まで、ここにあった鉄橋は常磐線と日比谷線の2本でした。

 宅地化が進んで急増した千葉・茨城の通勤客を輸送するための新しい鉄道路線、つくばエクスプレスの建設にともない、新しい鉄橋が建設されることになります。

 常磐線の橋梁を上流側に新設し、跡地につくばエクスプレスの鉄橋が建設されたのは2004(平成16)年のことでした。

 東日本大震災の被害で長く直通運転が中断していた常磐線ですが、2020年3月に全線が復旧、E657系で運転される特急「ひたち」「ときわ」の姿を眺めることができます。

常磐線の特急列車。上野駅を出た6~7分後に隅田川をわたる(画像:広岡祐)



 車輪の音を盛大に響かせて、多くの列車が行きかう都心の鉄道橋には独特の魅力があります。車窓からハッとするような風景をみつけたら、途中下車して川辺や橋のたもとを散策してみませんか?

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