映画とアニメの街・練馬区「大泉学園」に肝心の大泉学園がないワケ
2020年8月30日
知る!TOKYO現在は「映画とアニメの街」として広く知れ渡っている練馬区・大泉学園駅周辺ですが、なぜか「大泉学園」という学校はありません。いったいなぜでしょうか。フリーライターの小西マリアさんが解説します。
成城学園駅には成城学園があるのに……
小田急線の成城学園駅と玉川学園駅の近くには駅名と同じ学園があり、東急東横線の都立大学駅と学芸大学駅は駅名と同じ大学がかつてありました。
しかし西武池袋線の大泉学園駅(練馬区東大泉)の周辺には「大泉学園」が今も昔もありません。いったいなぜでしょうか。
結論から先に言うと、大泉学園駅は駅名を先に付けたものの、肝心の学園ができなかったのです。このことは比較的よく知られていますが、駅名に付けるくらいに期待されていた大泉学園とは、どのような学校だったのでしょうか。
きっかけは関東大震災
大泉学園の駅名が誕生するきっかけは、大正時代に始まった土地開発でした。

西武グループの創始者である堤康次郎は1920(大正9)年に不動産開発を行う箱根土地株式会社を設立。まだ雑木林が目立った土地の開発を計画します。
幸か不幸か、1923年に発生した関東大震災を契機に、未開発だった東京の西部には移住者が急増。移住者を当て込み、西部の私鉄沿線は住宅開発が盛んになります。また1915年に池袋~飯能間に開業していた武蔵野鉄道の沿線でも住宅開発が進んでいました。
そこで堤は現在の練馬区大泉学園から埼玉県新座市栄付近の土地を購入し、当時の東京商科大学(現・一橋大学)の誘致を計画します。
東京商科大学はかつて現在の名前の由来となった千代田区一ツ橋に校舎を持っていましたが、関東大震災でこれらの校舎がほとんど壊滅するという甚大な被害を受けます。
校舎を失った大学は、1924年に石神井に仮校舎を建設して授業を再開。そして、正式な校舎の再建を目指すなかで郊外に移転し、学園都市を建設する計画が示されます。

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