京成・JCT・荒川河川敷に包まれながら未来を夢想――葛飾区「堀切」で過ごすぜいたくな時間とは【連載】東京下町ベースキャンプ(3)
2020年8月25日
知る!TOKYOかつて江戸近郊の農村部だった東京東部の「下町」。そんな同エリアを、ブログ「限界ニュータウン探訪記」管理人の吉川祐介さんは新たな「拠点」と位置付け、再解釈を試みています。
「堀切ジャンクション」で有名な堀切
京成本線の堀切菖蒲(しょうぶ)園駅は、前回紹介した京成押上線「四ツ木駅」を擁する葛飾区四つ木に隣接した、堀切にあります。

駅名の由来である区営植物園「堀切菖蒲園」(葛飾区堀切)は、駅から徒歩15分ほどの少し離れた立地です。堀切という地名は首都高速中央環状線「堀切ジャンクション」が渋滞の名所としても知られているため、知名度は高いと言えるでしょう。
なお、東武伊勢崎線にも「堀切駅」という小さな駅がありますが、これは荒川対岸の足立区の千住曙町に位置し、堀切駅から葛飾区の堀切へ向かうには荒川を渡る必要があります。
約40年間で人口が45倍になった過去も
「堀切」とは、一般的には戦国時代の山城における防御施設(空堀)を指す名称で、現在全国各地に残されている「堀切」の地名を持つ地域もその多くが丘陵地帯です。
荒川の後背湿地である葛飾区の「堀切」には縁のあるものではなく由来は不明ですが、少ないながらも葛飾と同様、河川付近の低地に「堀切」の地名が採用されている地域も存在するので、古来においては空堀以外の別の意味も持ち合わせていたものかもしれません。

葛飾区の堀切もまた、四つ木同様、関東大震災(1923年)の発生後から高度成長期の時代にかけて、激しい市街化と人口流入に見舞われた地域のひとつです。
1920(大正9)年にはわずか1182人だった堀切の人口は、43年後の1963(昭和38)年には、45倍の5万3565人にまで膨れ上がります。
隣接する四つ木をはるかに上回る人口増加ですが、古くからの繁華街である上野を終着駅とした京成本線の方が、より求心力が高かったためと考えられます。なお京成押上線が現在の都営浅草線との相互乗り入れを開始したのは、1960年のことでした。
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