「明治通り」「昭和通り」はあるのに、なぜか「大正通り」はない東京のちょっとした謎
2020年7月29日
知る!TOKYO東京都内に「明治通り」と「昭和通り」はありますが、なぜか「大正通り」ありません。いったいなぜでしょうか。フリーライターの小西マリアさんが解説します。
かつて存在していた「大正通り」
東京には「明治通り」と「昭和通り」があるにもかかわらず、「大正通り」がないことを皆さんはご存じでしょうか。
これはわりと知られた東京の豆知識ですが、もう少し詳しい人であれば、「靖国(やすくに)通り」が、かつて大正通りと呼ばれていたことをご存じでしょう。

明治通りと昭和通りがそのままにもかかわらず、なぜ大正通りだけが残らなかったのでしょうか。
まずは、それぞれの道路の歴史について振り返ってみましょう。
スタートは関東大震災後の都市計画から
明治通りは、港区南麻布2丁目から東京をぐるっと回って江東区夢の島に至る環状の道路です。もともとは「環状5号線」という名称で、環七や環八よりも先に始まった道路です。
ぐるっと一周すると、麻布の高級住宅地から原宿や渋谷、池袋を抜け、下町までも一望できるため、東京のさまざまな顔を知ることができる道路です。

明治通りは、関東大震災後の1927(昭和2)年の都市計画で整備が始まりました。そのため、明治時代とは関係ありません。
それにもかかわらず明治通りの名が付いたのは、明治神宮(渋谷区代々木神園町)の近くを通るためという説が有力となっています。最初の道路の整備範囲が渋谷駅から神宮前交差点付近まで行われたのです。
港区新橋から台東区根岸までの「昭和通り」も同じく、関東大震災の復興事情として計画されました。
当初の案では現在の倍近い道幅108mが予定されていましたが、受け入れられませんでした。常に渋滞している現在の様子を見ると、計画通りにしておけばよかったのにと悔やまれます。

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