日本考古学発祥の地「大森貝塚」、大森なのに大田区になかった いったいなぜ?
2019年10月25日
知る!TOKYO学校の授業で必ず習う大森貝塚。「日本考古学発祥の地」と称される同地には、かつてその場所を巡りひと悶着がありました。ルポライターの昼間たかしさんが解説します。
日本の考古学の出発点となった場所
大森貝塚は、小学校の教科書にも掲載されている有名な遺跡です。この遺跡は縄文時代後期から末期にかけての人々が生活した痕跡を現在に伝えています。

この貝塚は日本で初めて本格的な発掘調査が行われたことと、発見に至る逸話で知られています。この貝塚を発見したのは、アメリカの動物学者であるエドワード・S・モースです。大森貝塚の発見で知られていますが、この人は歴史学者や考古学者ではなく動物学の専門家です。
そんなモースが大森貝塚を発見したのは、1877(明治10)年のことでした。設立されたばかりの東京帝国大学に教授として招かれたモースは、横浜港から開通したての鉄道で東京に向かいました。
その途中、窓の外を眺めていたモースの目に、線路沿いの崖の中に貝が山のように積もっているのが写ったのです。当時の蒸気機関車は現在の列車よりもスピードが遅いので、じっくりと見ることができたでしょう。既にアメリカでは考古学の研究が進んでいたため、モースも多少の知識がありました。そこで大学に赴任するとすぐに学生を連れだして発掘調査をおこなったのです。
こうして崖の周辺からは、縄文土器や貝殻、魚の骨などが発掘されました。この調査結果は1879(明治12)年に『大森介墟古物編(おおもりかいきょこぶつへん)』としてまとめられ、日本の考古学の出発点となったのです。
その後、日本でも考古学の研究者は育ち、文献ではわからなかった人々の営みも次々と知られるようになっていきました。

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