東京・多摩エリアの一部がなぜか市外局番「03」を使っている理由
2020年7月28日
知る!TOKYO市外局番「03」といえば、東京23区を思い浮かべる人が多いはず。しかしこの番号、実は23区以外の一部地域でも使われているのです。どのような歴史的背景があるのでしょうか。フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。
歴史の始まりは、1軒の料亭から
東京に住む人にとって「03」という数字は特別な意味を持ちます。そう、東京の市外局番。東京の中でも市外局番が「03」になっている地域は主に23区内。つまり、「03」の番号を持っているイコール“都会”の住民というわけです。
ところがこの「03」が使われているのは、東京23区だけではありません。狛江市も市外局番が「03」なんです。

狛江市の前身である狛江村に電話が敷かれたのは1921(大正10)年10月のこと。調布郵便局が電話交換業務を開始したことで、「玉翠園」が初めて電話を敷きます。
玉翠園というのは狛江市中和泉4、多摩川沿いにあった料亭です。
その始まりは1906(明治39)年頃に当時の村会議員、井上半三郎が2000坪ほどの土地を開墾して「井上公園」を造営したことです。
この公園は老松が茂り、富士山や丹沢の山々を望み、眼下に多摩川が流れるという絶景でした。ここに半三郎の娘である君代が1913(大正2)年につくったのが玉翠園。屋形船を多摩川に浮かべてアユ料理を楽しむことができる自慢の店でした。
毎年、アユの解禁日である6月1日の前夜祭にはたくさんの花火が打ち上げられて、公園も店も大いににぎわいました。残念ながら戦時中の1943(昭和18)年に廃業し、その歴史は終わりました。
この玉翠園は単なる料亭ではありません。公園には小学生のための宿泊施設もあって、林間学校や公民館のような役割も果たしていました。こうした事情もあって、最初に電話を敷くことにしたのでしょう。
電話が調布から敷かれたのは、当時の狛江にあった郵便局の管轄が調布郵便局だったからです。

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