どうなる荒川線「延伸計画」 そして路面電車の新設計画も始まった

  • 未分類
どうなる荒川線「延伸計画」 そして路面電車の新設計画も始まった

\ この記事を書いた人 /

昼間たかしのプロフィール画像

昼間たかし

ルポライター、著作家

ライターページへ

かつては東京をくまなく走っていた路面電車。しかし現在は荒川線と世田谷線のみです。そんな路面電車の可能性などについて、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

1967年から始まった都電の廃止

 荒川区の三ノ輪橋から新宿区の早稲田まで、約12kmを走る都電荒川線。2017年には「東京さくらトラム」という愛称も付きましたが、やはり荒川線という呼び方のほうが親しみを覚えます。

都電荒川線(画像:写真AC)



 この路線は東急世田谷線と並ぶ都内にふたつしかない路面電車で、かつ最後に残った都電なのです。

 都電、正式には「東京都電車」と呼ばれる路面電車は、かつて東京を縦横無尽に走っていました。最盛期は1943(昭和18)年で、運転系統は41もあり、1日平均193万人が利用する日本最大の路面電車でした。

 しかし戦後復興に続き、東京オリンピックに向けて東京が発展するにつれて都電の存在は揺らぎます。きっかけは1959年。警視庁によって、都電の軌道敷(きどうしき)内への自動車の乗り入れが許可されたことでした。目的は、自動車増加にともなう事故防止でした。

 これにより都電は定時性が悪化。利用者の減少を招き、収益も減るという負のスパイラルに陥ります。環境負荷も低いことなどから、現在は存在を見直されている路面電車ですが、当時は自動車の交通を乱す「遅れた交通機関」と見なされていたのです。

 都交通局は、都電を廃止してバスや地下鉄に移行するという案に難色を示しますが、定時性を失った都電の環境は悪化し、利用者も減少。これに加えて都営地下鉄の整備に多額の費用がかかり、都交通局の経営も悪化したことから、経営再建のために都電の廃止が決定されます。

 1967年から始まった都電の廃止は急ピッチで進み、5年間で約181kmもの区間が廃止されることになりました。

荒川線が唯一廃止を免れたワケ

 もちろん、路線の廃止に反対する住民運動は各地で起こりました。そうした中で、唯一廃止を免れたのが荒川線でした。

 荒川線は、私鉄の王子電気軌道によって敷設されたものに始まる三ノ輪橋~赤羽間の27系統と、荒川車庫~早稲田間の32系統の路線からなっていました。

 このうち王子駅前~赤羽間を廃止した上でふたつの系統を接続し、荒川線として存続させることになりました。

都電荒川線の路線図(画像:東京都交通局)



 路線が存続したもっとも大きな理由は、その9割が専用軌道を走っていて、道路の渋滞原因にならないことでした。これに加えて、

・沿線には並行する道路がなく、代替バスの輸送が困難
・路線と一部並行する明治通りの渋滞がひどく代替バスの定時運行が困難

ということも理由に挙げられました。最終的に廃止撤回され、路線名が現在の荒川線となったのは1974(昭和49)年のことでした。

かつてあった荒川線の延伸計画

 こうして昔ながらの風情を残している荒川線ですが、路面電車の価値が見直されたことで、近年ではいくつものリニューアルのアイデアが出ています。路線を延伸して、利便性を高めようというものです。

 現在の終点である三ノ輪橋と早稲田は双方ともに繁華街からも離れていて、利便性が高いとは言えません。そこで導入事例が増えている次世代型路面電車(LRT)に切り替えて路線を延ばそうというわけです。

 例えば、大繁華街・池袋をかかえる豊島区では荒川線の都電雑司ヶ谷駅から池袋駅方面へと路線を延伸する計画が立ち上がったことがありました。

都電雑司ヶ谷駅と池袋駅の位置関係(画像:(C)Google)

 この計画では、東口の西武百貨店を貫通しJRの線路真上に乗り場を設け、西口へと運行するというアイデアも提示されています。

都内で見直される路面電車の利便性

 それだけでなく、早稲田からそのまま東に進んで江戸川橋駅方面へ延長する計画や、三ノ輪橋から南千住方面に延ばす計画も提案されたこともあります。

 具体性は低いままですが、終点の早稲田から江戸川橋方面までのエリアは都営バスが走っているものの鉄道駅からは遠く、「都電があった頃は、電車通りだったのに」と話す住民も多いエリアです。

1967(昭和42)年発行の地図。都電があった頃の早稲田周辺の様子(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)



 都電廃止後に「陸の孤島」になってしまった新宿区の牛込周辺が都営大江戸線の開通とともに新宿駅に直結しする便利な地域になったこともあり、より良い交通機関を求める声は納得がいきます。

 ホームや改札から地上への移動時間が少なく、バスよりも定時性が確保されている荒川線のような交通機関には、都内のあちこちで熱い視線が送られているというわけです。

路面電車が近未来都市を走る時代は来るか

 そのためか、東京では現在新たに路線を作ろうとする構想も見られます。

 中央区は2013年、臨海部の人口増加に対応する交通機関整備のためにLRTとバス高速輸送システム(BRT)の導入に言及しています。

 BRTは2022年の本格運行を前に、2020年10月1日(木)から晴海~虎ノ門ヒルズ間で運行を始めています。ちなみにプレ運行のため、定時性は確保されない旨が告知されています。

晴海方面から新橋方面を望む(画像:(C)Google)

 将来的には銀座・有楽町から豊洲までのエリアの移動を担う交通機関が求められるわけですが、この中でLRTが導入される可能性もあります。かつて都電が走っていた勝どき橋の上を再び電車が走る可能性もありそうです。

 このエリアは、ゆりかもめが豊洲から勝どき経由で新橋まで延伸するのか、BRTに絞るのかなど、さまざまな予測がされており、今後どうなるのかはまったくわかりません。

 ただLRTになった場合、荒川線とは対称的に、路面電車が近未来都市を走るという、なかなか興味深い風景になりそうです。

関連記事