墨田区の河童伝説が伝える、美しき「水辺」への親しみと畏怖

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墨田区の河童伝説が伝える、美しき「水辺」への親しみと畏怖

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吉田悠軌(怪談・オカルト研究家)

水辺にはなぜか昔から、怪談話が生まれやすいといいます。そう、たとえば河童とか。墨田区と江東区を舞台に、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんがその背景を考察します。

東京の東側エリアで水にまつわる怪談が生まれた必然

 2019年10月半ばに上陸した台風19号。その勢力の大きさから、テレビやインターネットではかつてないほどの注意喚起が行われました。そのなかで話題となったのが「ここにいてはダメです」との強い警告を記した江戸川区の冊子。東京の下町、いわゆる海抜ゼロメートル地帯におけるハザードマップでした。

 東京の東側、墨田区や江東区、江戸川区などは、水に縁(ゆかり)の深い土地です。それは同時に、水難事故や水害という負の側面とも向かい合ってきた土地とも言えます。ここでは「怪談」というレンズを通して、東京下町と水の歴史を探ってみることにしましょう。

墨田区の錦糸堀公園に建っている河童の像(画像:吉田悠軌)



 都市計画としての埋め立て事業は、江戸時代から盛んに行われていました。江戸(東京)の人口増加に伴って、隅田川の向こうの湿地帯が宅地へと開発されていきます。「川向こう」という言い方があるように、川を隔てた先の新しいまちは、当時どこか暗さのあるじめじめとした土地だったのだろうと想像できます。

 怪談は、水場にまつわる土地で生まれやすいものです。さらに、「境界」には怪異が起こりやすいというイメージが人類共通であるようです。水場を開拓してできた、中心部から近くも遠くもない、何とも絶妙な立地。東京の東側は江戸の人々にとって、怪談を想起させやすい「すぐ近くの異界」だったのです。

 その証拠に、まず埋め立て地として開発された現・墨田区の本所(ほんじょ)には「本所七不思議」なる当時の都市伝説がまことしやかにささやかれています。さらにそれらのほとんどが、水と関係する立地を舞台としているのです。

かの有名な「おいてけ堀」はどこにあったのか

 たとえば「落ち葉なき椎(しい)」という、決して葉が落ちない不思議な椎の木は、隅田川べりの武家屋敷にあったとされます。

 「片葉の葦(あし)」は、片手片足を切り落とされた殺人事件により、そこにあった葦には片方の葉しかつかなくなったという怪奇現象。これは、墨田川の両国橋そば。

 それから「あかりなしそば」の舞台も、墨田区の南割下水という水路沿いです。そのあたりに、なぜか灯りをつけていない無人の屋台が夜な夜な出没するらしいというストーリー。屋台に入ったり、消えている行灯(あんどん)の火をともしたりすると不幸に見舞われる……という、現代の都市伝説でも通用するような話です。また「消えずの行灯」という行灯の火がいっこうに消えない逆バージョンの話もありますが、こうした派生が生まれるところも都市伝説っぽいですね。

 そんな水辺の怪異ばかりの本所七不思議のうちで、最も有名なのが「おいてけ掘」でしょう。

 埋め立て地のため水路の多い本所周辺ではかつて、あちこちで釣りができたようです。そのなかに、やけに魚の釣れる堀がある。いいポイントを見つけたと夢中になっているうちとっぷり日が暮れて、あたりはもう夕闇のなか。ビクも魚でいっぱいだし、もう帰ろうとした途端、堀の中から不気味な声が響いてくるのです。

 おいてけ~ おいてけ~

 釣り人はあわてて逃げ帰ったのですが、ふと気づくと、いっぱいだったはずのビクは空っぽになっていた……。

「オイテケ堀」と記された明治後期の地図(画像:吉田悠軌)



 このほかにも、さまざまなバージョンの話が言い伝えられている「おいてけ掘」。実際の場所はどこに当たるのかという研究も盛んにおこなわれて、史跡としてふたつの候補が挙げられています。もちろん今は鬱蒼たる水場ではなく、掘の気配すらない街中となっているので、散歩がてら訪れることも一興かもしれません。

 さて、具体的にはどこがかつての「おいてけ堀」だったのでしょうか。

河童が、人間の治水工事を手伝ってくれた?

 まずひとつは、江東区立亀戸第三中学校(江東区亀戸1丁目)。さすがに敷地内には入れませんが、校門前には区の登録史跡であることを示す石碑も建てられています。明治後期の地図を開いてみると、確かにこの場所に「オイテケ堀」と記されていました。

 もうひとつは、錦糸町駅すぐ近くの錦糸堀公園(墨田区江東橋4丁目)。

 こちらは「おいてけ~」という怪異の“犯人”を河童(かっぱ)だと考察しているようで、公園の入り口にかわいらしい設置されている河童の石像が印象的です。

錦糸堀公園の河童の像は、どこかひょうきんで愛らしい表情。そのワケとは?(画像:吉田悠軌)



 そのほかのおいてけ掘では、おおよそ狐や狸の仕業とされているなか、(まあ、江戸時代の怪現象はだいたい狐か狸のせいと言われますが……)、ここでなぜ河童が出てくるのでしょうか?

 それは下町の人々にとって、怪談でメジャーな狐狸(こり)よりも河童の方がなじみ深いものだったからではないでしょうか。

 河童にまつわる東京都内の有名どころといえば、合羽橋商店街のマスコットとなっている「かっぱ河太郎像」でしょう。江戸時代の文化年間、水はけの悪かったこの土地を整備した合羽屋喜八という人物がいましたが、私財を投げうつ彼の姿に心打たれた河童たちが、夜な夜な堀割り工事を手伝ってあげた……という伝説からきています。

 全国津々浦々、治水工事を手伝ってくれる河童伝説はよくありますが、合羽橋のそれはまさに典型例といえるでしょう。

 そのため河童とは、怪物ではなく「水関連の工事を得意とする職能集団を指している」との説もあります。その真偽はともかくとしても、「おいてけ掘」「合羽橋」の伝説を並べて考えれば、人々にとって河童とは、奇妙でありながらも同時に親しみやすく、また時に頼れる存在でもあったようです。下町の庶民が寄せる彼らへのシンパシーは、ほかのエリアの人々よりずっと強かったのではないでしょうか。

 最初に述べた通り、江戸の下町は湿地帯や海を埋め立ててできた場所。つまり自然そのものではなく、人工的にできたエリアです。

 先日の台風19号で思い知らされたように、治水工事の重要性が身に染みている土地柄もあるでしょう。水場を開拓し、住み暮らし続けてきた人々の思いは、昔ながらの怪談にも表れているのです。

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