目黒にかつて「競馬場」があった! 路地にはコーナーの名残、しかも馬券は超高額だった
2020年7月5日
知る!TOKYO1907年から1933年までの間、目黒にあった目黒競馬場。その歴史について、フリーライターの小西マリアさんが解説します。
「元競馬場前」というバス停が現存
かつて、目黒に競馬場があったのをご存じでしょうか? 目黒通りを走るバスには今も「元競馬場前」というバス停があるので、うっすらと気づいていた人は多いかもしれません。
ちなみにバス停の近くには、競馬場のコース外周部の名残で、カーブを描いた路地もあります。

まだ周囲がのどかな農村地帯だった目黒に競馬場ができたのは1907(明治40)年のことです。
もともと競馬は開国後に外国人居留地から始まったもので、明治になると紳士淑女の集う催しとして日本人も競馬を開催するようになります。ところが外国人居留地と異なり、日本人が馬券を売る行為は禁止されていたので、盛り上がることなく廃れてしまいました。
潮目が変わったのは日清・日露戦争後です。当時の軍隊に欠かせなかった馬の生産と質の向上が遅れていることを痛感した政府は、競馬を振興して馬券で収益をあげることを思いたちます。
こうして1905年、時の桂太郎内閣は「馬券の発売を黙許する」と通達。「黙許」とは、知らないふりをして許すことで、ようは馬券の発売を公認しないものの、同様に取り締まりもしないといった内容でした。
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