約200万部も売れた『磯野家の謎』 90年代の「謎本」ブームとはいったい何だったのか

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約200万部も売れた『磯野家の謎』 90年代の「謎本」ブームとはいったい何だったのか

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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1990年代に「謎本」が一世を風靡しました。代表作品は1992年発売の『磯野家の謎』。そんな懐かしの謎本について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

「謎本ブーム」の発火点は『サザエさん』

 2020年は、『サザエさん』で知られる漫画家・長谷川町子さんの生誕100周年の年です。

 ファンが必ず訪れるスポットとして知られる、「長谷川町子美術館」(世田谷区桜新町)の最寄り路線は東急線の桜新町駅。ちょと距離がありますが都電荒川線と並ぶ、東京からはほとんど姿を消した路面電車である世田谷線の松陰神社前あたりから歩いてみるのもオススメです。

 4月には長谷川さんの自宅を利用した「長谷川町子記念館」(同)も開館予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大で開館が延期になりました。

 しかし朝日新聞出版からは、会社の解散により長らく絶版になっていた姉妹社版を元にした復刻単行本も出版されるそうで、サザエさんの暮らしたノスタルジックな東京の風景(初期は福岡)を再び楽しむことができそうです。

 さて毎週日曜午後6時30分の人気番組として、現在でも多くの人が楽しんでいる『サザエさん』ですが、ネットが普及してからは放送内容の深読みや考察がよく行われています。

 アニメや漫画、映画やドラマなどで描かれている物語の背景を探ったり、深読みをしたりする趣味は、今では多くの作品で行われています。

 その中にあって『サザエさん』は、そうした趣味を世に広く知らしめた1990年代の「謎本ブーム」の発火点だったのです。

漫画の世界を真面目に考察

 1992(平成4)年12月に発売された『磯野家の謎』(飛鳥新社)は、それまでにあまり見たことのないスタイルの本でした。

『磯野家の謎』の表紙(画像:飛鳥新社)



 記されているのは誰もが知っている『サザエさん』のことですが、ページごとの見出しは、どれも読者の興味を引くものでした。

「磯野家は18回も泥棒に入られている」
「タラちゃんはお経を聞くと踊り出すという奇癖がある」
「磯野家は暗い過去を背負い、九州から東京にやってきた」

などなど、当時刊行されていた『サザエさん』の単行本の該当ページなど出典を明記しながら、興味を引く見出しの解説が連なっていたのです。

 そして後半のページには、本の中に『サザエさん』のコマがひとつも引用されていない理由までもが、きちんと解説されていました。漫画の世界を現実に近い状況と仮定してひたすら真面目に考察を加えていく、遊び本と言えるでしょう。

 この本の編著者としてクレジットされていたのは、「東京サザエさん学会」です。

 東京サザエさん学会は、1981(昭和56)年に国文学者の故・岩松研吉郎慶応大学名誉教授を会長に、ファン有志が集まった研究団体で、『サザエさん』に登場する「都下禿頭会(とかとくとうかい。波平が理事)」の略称「TTK」に倣って「TSG」を自称していました。

 ファン同士で考察を深めていた会に、出版企画を持ちかけたのは当時、飛鳥新社にいた編集者の赤田祐一さんです。赤田さんが『磯野家の謎』を刊行する以前、「謎本」と後年呼ばれるジャンルの本は、すでに徐々に姿を現し始めていました。

先駆けはウルトラマンの研究本

 先駆けとなったのは、1991年12月に「SUPER STRINGS サーフライダー21」名義で発行された『ウルトラマン研究序説』(中経出版)です。

『ウルトラマン研究序説』の表紙(画像:中経出版)



 この本は『ウルトラマン』の世界での出来事を現実と想定し、「科学特捜隊」を日本に置いた場合の憲法との関係、ウルトラマンが建物を壊した場合の賠償責任、変身のメカニズムや科学特捜隊の組織論などを考察するものです。

 架空の出来事に極めて学術的な考察を加えているこの本は難解な部分もありましたが、60万部近くを売り上げるヒット作になりました。

次々と生まれた類書

 このヒットを見てゴジラを真面目に研究する『ゴジラ生物学序説』(文藝春秋。1992年)や、『野球狂の詩』の水原勇気が1勝もしていないことなど名作漫画をデータで考察する、『水原勇気0勝3敗11S』(情報センター出版局。同)などの類書が次々と生まれます。

『水原勇気0勝3敗11S』の表紙(画像:情報センター出版局)

 いわゆる「謎本」と呼ばれるような考察本は、それ以前から同人誌の形でマニアの間では流通していました。ところが『ウルトラマン研究序説』の成功で、限られたマニアだけが読むものでないことが明らかになったのです。

 そんなときに「『ウルトラマン研究序説』ような企画がなんで出てこないのか」と社長に言われた赤田さんが提案したのが『サザエさん』の研究本でした。

 赤田さんが東京サザエさん学会を知っていたのは、『週刊朝日』で連載されていた夏目房之助さん(漫画コラムニスト。現・学習院大学教授)の人気連載「デキゴトロジー」でした。ちまたの珍事件や奇人変人を独特の筆致で取り上げる連載の中に、東京サザエさん学会があったのです。

186万部の大ヒットの理由

 こうして企画が通り、赤田さんが岩松教授とミーティングを行ったのは1992年9月末。わずか2か月くらいの即興で作り上げた企画物となりました。

 書店に並び始めたのは1992年12月9日。初版は2万部で、それが10日後には1日に2万部の注文が全国の書店から寄せられるようになり、翌年夏までに186万部の大ヒットに。1993年4月に急きょ発売した『磯野家の謎・おかわり』も、70万部の大ヒットになりました。

『磯野家の謎・おかわり』の表紙(画像:情報センター出版局)



 ここまでヒットした理由は、内容の面白さもさることながら本のスタイルにありました。

『ウルトラマン研究序説』は純然たる研究書風のスタイルを取っていたのに対して、『磯野家の謎』は新書サイズのペーパーバック。このときに赤田さんが参考にしたのは1970年代にアメリカで人気だった「トリヴィア・シリーズ」でした。

 これは「ビートルズ」や「スタートレック」などをテーマに、「スポックの履いていた靴下の素材は?」などカルトな話題がクイズ形式で紹介されていくものです。

 それをベースに『磯野家の謎』では前述の「磯野家は18回も泥棒に入られている」といった見出しと解説・考察が続く構成で非常に読みやすく、以降続く「謎本」の基本スタイルになったのです。

 なお初めてだったことから、当時『サザエさん』の版権を所有していた姉妹社に漫画のコマを使わせてほしいと交渉は試みましたが、丁重に断られてしまったそうです。

粗製乱造されるも売れた類似本

『磯野家の謎』の大成功を受けて、1993年は書店に「謎本」が次々と並ぶ一大ブームになります。『鉄腕アトムの秘密』(文化創作出版社)、『ドラゴンボール・超研究』(キネマ旬報社)、『「巨人の星」の謎』(宝島社)などが次々と刊行されました。

 中でも、刊行点数が多かったのはデータハウス(新宿区西新宿)です。同社は1983(昭和58)年に『田中角栄最新データ集』から出発した、社名の通り、データ本を得意とする出版社でした。

 そのために動きも速く、1993年3月に世田谷サザエさん学会名義で『サザエさんの秘密』を刊行し56万部を売り上げ、翌4月には『ドラえもんの秘密』で同じく56万部。さらに『ちびまる子ちゃんの秘密』(15万部)、『ゴルゴ13の秘密』(8万部)、『ドラゴンボールの秘密』(17万部)と次々と謎本を書店に投入しました。

『ゴルゴ13の秘密』の表紙(画像:データハウス)



 当時の取材記事をみると、『ゴルゴ13の秘密』は複数のライターを使いわずか20日間で脱稿したといいます。どこの出版社も似たような感じで、粗製乱造されるスタイルには批判もありましたが、「謎本」は二番煎じ、3番煎じといわずによく売れました。

 不思議なのは、当時売れたテーマは漫画に限られていたことです。余勢を駆って発売された「水戸黄門」の研究本『控えおろう!』は、それまでのテレビの全放送回の映像674本と脚本をもとに、プロデューサーの辺見稔氏の監修が入った公式に近いものでしたが、売り上げは芳しくなかったといいます。『太陽にほえろ』や『男はつらいよ』についても同様でした。

 ブームに乗る形で各社が熱のあるうちにと刊行点数を増やしたために、元ネタが尽きると共に「謎本」の勢いは次第に収まっていきました。

 1995(平成7)年10月から放送が始まった『新世紀エヴァンゲリオン』が大ブームになると「エヴァ考察本」が次々と現れましたが、「謎本」そのものは一時ほど大きくなることはありませんでした。それでも前出のデータハウスは『「エスカフローネ」の秘密』や『「ロードス島戦記」の秘密』などコアな層に向けた本の刊行を続けていました。

「謎本」から生まれた文化的教養

 決して長くは続かなかった「謎本」ブームですが、現在に至る日本文化に大きな影響を与えています。

『磯野家の謎』のヒットで赤田さんは、「風雨よりはちょっとよかった」ボーナスを手にします。それをもとに私財を投げ込んで誕生したのが、現在は太田出版(新宿区愛住町)から刊行されている雑誌『Quick Japan』です。

1994年発売の『Quick Japan』創刊号の表紙(画像:太田出版)



 今は芸能雑誌になってしまった同誌ですが、創刊当初から90年代はまったく違う雑誌でした。アメリカの音楽や政治、大衆文化を扱う雑誌『ローリング・ストーン』を手本に、大手メディアの拾わないテーマを紹介していました。この雑誌を通じて当時の青少年は、漫画やアニメ、映画に政治とジャンルにとらわれることなく、文化的教養を身につけていくことができたわけです。

『サザエさん』への興味から始まる人々の動きが、こうもつながっているとは――。時には、そんなことを思い出したいものです。

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