昭和の小学校に必ずあった「ハイテク筆箱」が知らぬ間に姿を消したワケ

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昭和の小学校に必ずあった「ハイテク筆箱」が知らぬ間に姿を消したワケ

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日野京子

エデュケーショナルライター

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昭和時代に学校で大はやりした「多機能筆箱」「ハイテク筆箱」。しかし今ではあまりその姿を見ることはありません。いったいなぜでしょうか。エデュケーショナルライターの日野京子さんが解説します。

ルールが緩かった昭和時代

 この10年、さまざまな小学校が「○○スタンダード(○○は自分たちの小学校名)」と銘打ち、ものごとを決めています。

「学校現場における授業スタンダードの普及」(内山絵美子、2018年日本教育行政学会年報)によると、この流れは2007(平成19)年に始まった

1.全国学力・学習状況調査等
2.平成20・21年改訂学習指導要領

が告示されたころから注目を集めているとあります。

 各学校のスタンダードは現在、授業の運営だけでなく多岐にわたってます。そのなかには文房具に関するものもあり、筆箱の基本は無地で、鉛筆の本数も決まっているなど、児童間で差が出ないよう統一感を持たせています。

筆箱(画像:写真AC)



 東京都議会の文教委員会でも、2018年3月に「○○スタンダード」が取り上げられ、都内の16区市で独自の基準を作っていることが判明しました。都全域ではないものの、キャラクターデザインの文房具の持ち込み禁止をしている学校や自治体が一定数存在しているのです。

ハイテク筆箱がはやった昭和時代

 いうまでもなく、学校は学びの場です。ある程度ルールを決めておかなければ、

・この人はこの文房具を持っている
・あの人はこの文房具を持っていない

などのトラブルが発生します。前述のようなスタンダードを定めれば、こうした問題を未然に防げます。

 さて、近年の小学生向けの筆箱コーナーで最も目立つのは、無地や色味の落ち着いた商品です。昭和時代にはやった、ボタンを押すと

・本体のあちこちから謎の箱が飛び出す
・鉛筆を入れるところがニュッと立ち上がる

「多機能筆箱」「ハイテク筆箱」は令和の現在、主役の座から降り、需要が減少しています。

 その理由はシンプルで、お遊び要素が満載のため、学校に持っていくと先生に注意されるからです。

子どもの多い時代性を反映

「象が踏んでも壊れない」というキャッチコピーと、インパクトのあるCMで売れに売れた「アーム筆入れ」は1965(昭和40)年に誕生。デザインは非常にシンプルでしたが、子どもの多かった高度経済成長期を背景に、筆箱はシンプルさから斬新さへと変わっていきます。

現在のアーム筆入れ(画像:サンスター文具)



 筆箱の機能よりも話題性が重視され、男児を中心に「どれだけ多くの機能があるか」を競う光景が日常的でした。

 今振り返ってみれば学びの場に必要のない機能ばかりですが、多機能・ハイテクは当時の時代性を反映していたといっても過言ではありません。

 通常の筆箱と比べて多機能筆箱は高価なため、教室内で

「持つ者と持たざる者」

が生まれたのは自然な成り行きでした。ただ、それが問題視されることはなく、1980~1990年代に隆盛を極めました。

 一方、女児はアイドルの下敷きなどを愛用しており、高学年になるとカラフルな缶ペンなどで個性を出していました。

ゲームができる鉛筆の登場

 このように文房具の規制が緩い昭和時代でしたが、1993(平成5)年に発売された「バトル鉛筆」の登場を契機に状況が一変します。

 バトル鉛筆は通称「バトエン」といわれ、鉛筆でゲームができるという画期的な商品でした。

 瞬く間に子どもたちの間で人気となりましたが、授業中に鉛筆を転がして遊ぶなどの問題が続出。持ち込みを禁止する学校が増加しました。

 勉強道具だがトラブルを招く原因にもなる――文房具の可能性を広げた記念すべき商品は、学校側からすると頭痛の種となっていたのです。

多様性のなか、スタンダードは続くか

 文房具については、文部科学省から指示が出されていないため、判断は各学校に委ねられています。前述した2000年代後半からのスタンダードが浸透したことで、トラブル発生を防ぐ意味合いも兼ねて、文房具が規制の対象となったのは自然なことといえます。

昭和の教室のイメージ(画像:写真AC)



 ただ、多様性や個性を尊重する風潮が強まっている現代にスタンダードは逆行しているともいえます。昭和時代に小学校生活を送った人たちは、特にそう感じるはずです。

 もちろんトラブルの芽を摘むことは大切であり、意義があります。その一方、あまりにも行き過ぎたスタンダードは、子どもたちの思い出のきっかけを奪います。筆者のような昭和世代の人間から見ると、何ともいえない寂しさを感じます。

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