神保町から世界へ 1988年「週刊少年ジャンプ」驚異の500万部超えを振り返る
2020年3月22日
ライフ1980年代、少年たちのバイブル的存在だった「週刊少年ジャンプ」。その歴史について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。
「ジャンプ読んだ?」があいさつ代わり
千代田区の神田神保町周辺では、あちこちの喫茶店で著者と編集者が打ち合わせを行っている光景を見かけます。
多くの出版社が立ち並ぶ中、とりわけ目立つのは小学館(千代田区一ツ橋)と集英社(同)です。
集英社はもともと、小学館の娯楽雑誌部門として1926(大正15・昭和元)年に生まれた会社。そのため、この2社を中心としたグループを本社所在地に由来して「一ツ橋(グループ)」と呼びます。
筆者(昼間たかし。ルポライター)は初めて上京した日から神保町に通っていますが、小学館と集英社の建物を見たとき、「ずっと読んでいる漫画雑誌がここで作られているのか」と感動したものです。
そう、時代は1990年代。友人と会ったときのあいさつは「ジャンプ読んだ?」でした……。
1984年の年末に403万部到達
1980年代。漫画は誰もが読むものとして、社会に定着していました。雑誌を軸に絶好調だった出版業界は、1988(昭和63)年にシェアの3割を漫画が占めていました。その中でもすさまじい売れ行きを見せていたのが「週刊少年ジャンプ」でした。

神田猿楽町にあった週刊少年ジャンプ編集部は当時、後藤広喜編集長以下スタッフ16人。その編集部から生み出される雑誌は1984(昭和59)年末に403万部に到達。一躍耳目を集めていました。
1980年代後半の人気連載のラインアップは「北斗の拳」「ドラゴンボール」「こちら葛飾区亀有公園前派出所」です。今でもこれらの作品は誰でも知っている超人気作。400万部を越えた当時、そんなに印刷するのは「暴挙ではないか」と見る向きもあったそうです。

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