松田聖子やシブがき隊も――昭和のトップアイドルたちが中野に連日集結していた涙ぐましい理由
2020年6月29日
ライフかつて、第一線のアイドルたちが中野区に頻繁に足を運んでいた時代がありました。いったいなぜでしょうか。ライターでレトロ文化研究家のミゾロギ・ダイスケさんが解説します。
トップアイドルたちがそろいもそろって
テレビの民放キー局の本社は現在、すべて東京の港区にあります。
また在京のラジオ局や映画会社、レコード会社や大手芸能プロダクションなどのオフィスの所在地も港区のほか、渋谷区、千代田区、それから新宿区、目黒区、中央区あたりに集中しています。路上で偶然、芸能人に遭遇することが多いのも、これらの区でしょう。
ところが日本の芸能史には、第一線のアイドルたちがそろいもそろって、なぜか中野区に、それも頻繁に足を運んでいた時代がありました。

中野駅前にある中野サンプラザ(中野区中野)のホールで歌番組の収録が行われていた……のではありません。
アイドルたちはプライベートでどうしても中野区に用事があり、しかもその用は六本木や渋谷で済ませることができなかったのです。
では、彼らは中野区に何をしに行っていたのでしょうか?

New Article
新着記事
Weekly Ranking
ランキング
- 知る!
TOKYO - お出かけ
- ライフ
- オリジナル
漫画