松田聖子やシブがき隊も――昭和のトップアイドルたちが中野に連日集結していた涙ぐましい理由

  • ライフ
松田聖子やシブがき隊も――昭和のトップアイドルたちが中野に連日集結していた涙ぐましい理由

\ この記事を書いた人 /

ミゾロギ・ダイスケのプロフィール画像

ミゾロギ・ダイスケ

ライター、レトロ文化研究家

ライターページへ

かつて、第一線のアイドルたちが中野区に頻繁に足を運んでいた時代がありました。いったいなぜでしょうか。ライターでレトロ文化研究家のミゾロギ・ダイスケさんが解説します。

トップアイドルたちがそろいもそろって

 テレビの民放キー局の本社は現在、すべて東京の港区にあります。

 また在京のラジオ局や映画会社、レコード会社や大手芸能プロダクションなどのオフィスの所在地も港区のほか、渋谷区、千代田区、それから新宿区、目黒区、中央区あたりに集中しています。路上で偶然、芸能人に遭遇することが多いのも、これらの区でしょう。

 ところが日本の芸能史には、第一線のアイドルたちがそろいもそろって、なぜか中野区に、それも頻繁に足を運んでいた時代がありました。

中野駅(画像:写真AC)



中野駅前にある中野サンプラザ(中野区中野)のホールで歌番組の収録が行われていた……のではありません。

 アイドルたちはプライベートでどうしても中野区に用事があり、しかもその用は六本木や渋谷で済ませることができなかったのです。

 では、彼らは中野区に何をしに行っていたのでしょうか?

ジャニーズの豪華メンバーも

 種明かしをすれば、それは“勉強”です。

 というのも、かつてはアイドルの大半が10代の頃、中野区にあるふたつの高校のどちらかに1度は籍を置いていたのです。その傾向は1970年代に生まれ、1980年代に一層、色濃くなりました。

 ふたつのアイドル御用達の高校はそれぞれ、中央線、総武線の線路を挟んで徒歩十数分の距離にあります。

 ひとつは、東中野駅から徒歩5分でアクセスできる明治大学付属中野高等学校(中野区東中野。以下、明大中野)です。同校には、かつて定時制の課程があり、1980年代は特に、多くのアイドルたちが通っていました。

中野区東中野にある明治大学付属中野中学・高等学校(画像:(C)Google)



 男性は近藤真彦、シブがき隊(当時)の薬丸裕英・本木雅弘・布川敏和、少年隊の錦織一清・東山紀之、光GENJI(当時)の大沢樹生・内海光司、男闘呼組(当時)の岡本健一・高橋一也(現・高橋和也)・前田耕陽など、その時代のジャニーズ事務所所属のアイドルたちがズラリ。なお錦織、東山、内海、岡本は現在も同事務所に所属しています。

 女性アイドルは河合奈保子、三原順子(現・三原じゅん子)、小泉今日子、三田寛子、石川秀美、中森明菜、森尾由美、芳本美代子、佐野量子、浅香唯、立花理佐といったメンバーです。

 ちなみに多忙なスケジュールのなか、夜間の授業を受けるのが難しかったのか、明大中野定時制には、なかなか卒業できずに中退するアイドルが多かったようです。

松田聖子から森高千里まで網羅

 もうひとつが、中野坂上駅から徒歩12分、東中野駅、中野駅から徒歩十数分のところにある堀越高等学校(中野区中央。以下、堀越)です。

中野区中央にある堀越高等学校(画像:(C)Google)

 以前より芸能人を受け入れていた同校は、1973(昭和48)年に「芸能コース」を新設しました。

 といっても、歌や芝居などを教える授業がある訳ではありません。芸能活動と並行しながら、一般的な高等学校教育を受けられる特別クラスなのです。全日制ですが、出席日数が不足した場合などに、補修などの救済措置が用意されています。そのためか、中退者は少ないと言われています。

OBから漂う「オールスター感」

 その第1期生には1970年代のトップアイドルである、郷ひろみ、野口五郎らがいました。そして、アイドル黄金時代ともいえる1980年代には、とりわけ多くの女性アイドルが毎年のように、その制服に袖を通しています。

中野駅周辺の空撮(画像:写真AC)



 知名度が高い出身者をデビュー順に並べてみましょう。

 松田聖子、岩崎良美、柏原芳恵、松本伊代、堀ちえみ、早見優、松本明子、荻野目洋子、長山洋子、岡田有希子(故人)、井森美幸、本田美奈子(のちに本田美奈子. = 故人)、南野陽子、森口博子、西村知美、山瀬まみ、おニャン子クラブの渡辺美奈代、酒井法子、森高千里……といった具合で、実に豪華な顔ぶれです。

 なお、男性アイドルも、竹本孝之、光GENJI(当時)の赤坂晃、佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)らが通っていました。

 1980年代のアイドルシーンをご存じの人なら、両校に籍を置いたメンバーの「オールスター感」に、改めて驚くのではないでしょうか。

1強体制が崩れた背景とは

 1990年代になると、アイドル通学高校の「中野区1強体制」に変化が生じます。堀越の「芸能コース」は「トレイトコース」と改称されましたが、アイドルが学ぶ歴史は途切れずに続いています。

 一方、仕事が忙しいと卒業が難しくなりがちな明大中野に通うアイドルの数は減っていきました。同時に多様性を重んじる学校が増えたのか、アイドルの通学先は分散化されます。

 例えば、内田有紀、広末涼子、SPEED(当時)の今井絵理子、モーニング娘。(当時)の安倍なつみ・飯田圭織、鈴木あみ(現・鈴木亜美)ら1990年代のトップアイドルの多くは、中野区の2校以外の高校に通っていました。

 また、時代の変化とともに定時制高校への入学希望者の減少もあってか、2003(平成15)年に明大中野の定時制は廃止されてしまいます。

 さらに、かつての日出女子学園高等学校から、日出高等学校へと改称を経て共学化、さらに日本大学の系列となった目黒日本大学高等学校(目黒区目黒)など、ほかにも「芸能コース」を設置する高校が誕生し、勢力図は一変しました。

目黒区目黒にある目黒日本大学高等学校(画像:(C)Google)

 前述のとおり、堀越の存在は今も大きいものの、中野区がアイドルの学ぶ特別な場所だったのは、すでに過去の話となっています。

関連記事