「忙しい」が口癖のあなたへ ニーチェとアドラーに学ぶ「多忙な人の深層心理」とは?

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「忙しい」が口癖のあなたへ ニーチェとアドラーに学ぶ「多忙な人の深層心理」とは?

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西宮ゆかり

哲学ライター

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「忙しい」とは、現代のビジネスパーソンがもっとも口にする言葉のひとつかもしれません。その裏に隠された心理について、哲学ライターの西宮ゆかりさんが哲学者・ニーチェと心理学者・アドラーの教えから紐解きます。

つい口をついて出る「忙しい」。でも本当は?

「仕事が忙しい」という言葉、口癖になっていませんか? 実際、仕事に追われて多忙な日々を過ごす人も多いと思います。

 日本には「忙しく仕事をしている人ほど有能」「忙しい人は重要な業務を抱えている」と考える傾向があるようです。けれど忙しいと思う気持ちには実は、「自分の内にある本心や問題から逃げていたい」という側面もあるようなのです。ちょっと思い当たるかも……なんて人もいらっしゃるのではないでしょうか。

 ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェと(1844~1900年)とオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラー(1870年~1937年)の知恵を借りて、その真理を追究してみましょう。

「仕事が忙しい」という社会人のイメージ(画像:写真AC)



 仕事が忙しいから、趣味が持てない、恋人もいない、仲間もいない、人生や未来について考える暇もない――。このふたつの因果関係は、一見つながっているようで実はただのこじつけなのだ、そう指摘したのがニーチェです。

 ニーチェは1883年から1885年にかけて発表した『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、「激務を標榜するものは、自分を忘れようとしているだけだ。自分からの逃避である」と語っています。仕事が忙しいからほかのことができないのではなく、したくないことや見たくないものがあるから仕事に没頭しているのだ、というのです。

 忙しく仕事をする本当の目的は、「自分の本心や問題を見て見ぬふりをする」ため。つまり、因果関係が逆だというのがニーチェの論です。

怖い、めんどう。だから見て見ぬふり。

 実は同じような指摘は、アドラーの心理学にも登場します。

 アドラーは、人間は「過去の原因」ではなく「今の目的」のために行動しており、ゆえに人間の行動にはすべて目的がある、という『目的論』を主張します。「仕事が忙しいという『原因』」ではなく、「自分の本心や問題から逃げたいという『目的』」が先にあるというわけです。

 仕事が忙しいと言いながら、通勤電車や寝る前のベッドの中でスマホを片手に時間つぶしをしていませんか? 「趣味や恋人、仲間を作る」「人生や未来について考える」といった目的があれば、自ら進んでそのための時間を作り、考えて行動するはずなのに、です。

 もしかしたら自分は、自分の本心や問題から逃げているのではないだろうか? そう内省してみることが、まずは大切な一歩になるでしょう。

寝る前にスマホを見る人のイメージ(画像:写真AC)



「多くの人は自分の弱点に言い訳をして見て見ぬふりをする」と、ニーチェは『漂泊者とその影』(1880年)で指摘しています。

 なぜなら自分のマイナス面と向き合うことは、「情けない、恥ずかしい、悔しい、みじめ」というさらなるマイナスの思いを抱くことにもつながるから。そして短所と向き合い落ち込めば、その後には立ち上がり、また歩き出すための力も必要になります。そのためには多くの労力と精神力、さらには思考や行動を変える必要にも迫られるかもしれません。その変化が怖くてめんどうくさくて、人はつい問題から逃げてしまうのです。

 けれど長い目で見れば、見て見ぬふりをしていた問題がのちにもっと大きな問題に発展してしまったり、歳を取ってからあのとき向き合っておけばよかったと後悔したりすることもあるのだということを、つねに頭に入れておかなくてはなりません。

成功者は自分の弱点を熟知している

 自分と向き合うことを怖れる人に知っておいてほしいがあります。それは、ニーチェが同じく『漂泊者とその影』で説いた「成功者にだって欠点も弱さもある。成功者は自分の弱点をよく見つめ、理解し、さらに長所のバリエーションのように見せるのである」という考えです。

誰もが抱えている弱点のイメージ(画像:写真AC)



 どんな人にも弱点はあります。その弱点から逃げるか、それとも向き合うか。それが、成功者になるための重要な別れ道のひとつとなります。

 弱点と向き合うことには、たしかに精神力・気力・労力が要ります。それでもじっくりと向き合い、自分を理解し、弱点をも長所のひとつに変えていく。その勇気と機転を持つことで、今よりも一歩高みを目指すことができるのではないでしょうか。

 ひとつ注意したいのは、何でも成功者の真似をすればいいわけではない、ということ。ビジネス書や自己啓発本を読んだり、成功者の真似をしたりと試行錯誤する人もいますが、ニーチェは『偶像の黄昏』(1888年)で「人のやり方が自分にも当てはまることのほうが少ない」と述べています。

 世の中に「良いもの」は溢れるほどありますが、「自分に合うかどうか」というのはまた別の問題。食べ物やファッション、病気を治療する薬にも「合う、合わない」はあります。ただ何かを真似るのではなく、自分に合った答えや方法を探し求めていくことこそが大切なのです。

自分の答えは、どうすれば見つかるの?

 自分の弱さや欠点と向き合い、うまく付き合っていこうとは思うものの、失敗することももちろんあります。しかし気に掛けるべきは失敗という結果ではありません。失敗という名の経験を重ね、自分に合ったやり方を模索していくことが重要なのです。

 迷ったとき、自分が分からなくなったときでも、日常生活を過ごすなかで自分と向き合っていこう。「自分の足元にこそ、求めるものが埋まっている」とは、『たわむれ、たばかり、意趣晴らし』(1882年刊行)でのニーチェの言葉です。

 禅にも「脚下照顧(きゃっかしょうこ))」、つまり自分の足元を見る、わが身を振り返るという言葉があります。日常生活が修行の場であり、そこにこそ自分という人間があらわれるのです。

ときには忙しさから離れて立ち止まることも必要(画像:写真AC)



 忙しさを感じたら、思いきって立ち止まり、何か見て見ぬふりをしていないかと自問自答をする機会にしてみませんか。問題に向き合うことこそが、仕事を多忙にするよりも自身を成長させる一歩になるのだと、古き思想家たちの言葉が指し示しています。

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