昭和の都電廃止 残された「敷石」はなぜ飛ぶように売れたのか?

  • ライフ
  • 三ノ輪駅
  • 早稲田駅(都電)
  • 王子駅前駅
昭和の都電廃止 残された「敷石」はなぜ飛ぶように売れたのか?

\ この記事を書いた人 /

弘中新一のプロフィール画像

弘中新一

鉄道ライター

ライターページへ

路面電車が廃止され、車両や機材の売却が一苦労――。当時残された車両は1068両、レールは延べ77万6000m、敷石は330万枚も。その行方とは? 鉄道ライターの弘中新一さんが解説します。

  • /wp-content/uploads/2022/01/220120_sharyo_01.jpg
    1967年12月9日撮影。銀座4丁目交差点を走る都電。銀座線はこの日で廃止に(画像:時事)
  • /wp-content/uploads/2022/01/220120_sharyo_02.jpg
    現在の鹿児島市電(画像:写真AC)
  • /wp-content/uploads/2022/01/220120_sharyo_03.jpg
    銀座の様子(画像:写真AC)
この画像の記事を読む

関連記事