明治時代の銀座に現れたカツサンド。実はフランス料理だった?
日本ではじめてカツサンドが登場したのが、明治時代末の銀座。しかもそれはフランス料理だというのです。同じく戦前の銀座に現れたミラノ風カツレツ、スパゲッティ・ナポリタンもフランス料理。銀座を通じて流入したフランス料理文化について、『串かつの戦前史』(https://www.amazon.co.jp/dp/B093SJ24QX)で間違いだらけのカフェー史について書いた食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。明治時代の銀座にカツサンド登場 ガッツリと食べごたえのあるサンドウィッチ、カツサンド。 カツサンド 写真ACより 小説家の小島政二郎によると、日本で初めてカツサンドを出したのは、銀座のカフェー・プランタンではないかということです(『場末風流』)。カフェー・プランタンは銀座カフェー史の黎明期をリードした店。文学者や美術家などの交流の場としての役割を果たしていました。 創業者の息子である歌舞伎役者五代目河原崎國太郎によると、1901(明治44)年に現在の銀座七丁目にオープンしたプランタンでは、創業当時からカツサンドを出していたそうです(小菅桂子『にっぽん洋食物語』)。 カツサンドが日本に登場したのは、明治時代の銀座においてなのです。 現在カフェー・プランタンは閉店していますが、今でも店があった場所、銀座七丁目周辺には昔懐かしいスタイルのカフェが集まっており、レトロ好きの穴場となっています。 東京に広がるカツサンド その後カツサンドは、東京の他の店にも広がっていきます。 雑誌『食道楽 1932(昭和7)年3月号』の「春景色美味の数々」(山風楼主人)には、銀座進洋軒のカツサンドがおいしいとあります。 日比谷にあったレインボーグリルではカツサンドが評判となっており、1934(昭和9)年の大日本雄弁会講談社編『東京大阪評判料理の作り方』にそのレシピが開示されています。 レインボーグリルのチキン・カットレット・サンドウヰッチ 大日本雄弁会講談社編『東京大阪評判料理の作り方』より引用(画像:近代食文化研究会) サンドウィッチかどうか不明ですが、小学校の昼食用に「カツパン」なるものも売られていました。 1921(大正10)年ごろに三筋町小島小学校の前の店で(台東区立下町風俗資料館編『古老がつづる 下谷・浅草の明治・大正・昭和 Ⅱ』)、昭和初期には銀座の泰明小学校で(長谷川桂『銀座には川と橋があった』)、昼食向けにカツパンが売られていました。 カツとパンの組み合わせは、惣菜パンの先駆け的存在だったのです。 カツサンドはフランス料理? カツサンドは、カフェー・プランタンの発明ではないそうです。 河原崎國太郎によると、パリの友人からの手紙に、とある店で食べたカツサンドがおいしいと報告があったので、創業者はカツサンドをメニューに加えることに決めたのだとか(小菅桂子『にっぽん洋食物語』)。 たしかにその頃のフランス料理書、例えば近代フランス料理を代表する料理書エスコフィエの『Le Guide Culinaire』には、サンドウィッチも、そして日本で言うところのパン粉衣のカツレツも存在するので、カツサンドが存在していても不思議ではありません。 近代フランス料理の父 エスコフィエ (画像:近代食文化研究会) 日本でもおなじみのフランス料理カツレツといえば、パン粉にチーズ粉を混ぜて、揚げるというよりは油で焼くミラノ風カツレツ(仔牛肉を使うならばフランス語でcôtelette de veau à la milanaiseあるいはcôte de veau à la milanaise)です。 ミラノ風カツレツ 写真ACより ミラノ風カツレツはイタリア料理ではなく、フランス料理なのです。 1903年に出版されたフランス料理の百科事典、Joseph Favreの『Dictionnaire universel de cuisine pratique』におけるcôtelette de veau à la milanaiseの説明文です。 Joseph Favre『Dictionnaire universel de cuisine pratique』より引用(画像:近代食文化研究会) パリで「ミラノ風コートレット」とよばれているものは、ミラノでは「パリジャン風コートレット」、つまりフランス料理と認識されているそうです。 けっこうでたらめな、フランスの地名付き料理けっこうでたらめな、フランスの地名付き料理 日本の「ミラノ風ドリア」が、実際にはミラノに存在しないように、フランス料理のミラノ風コートレットはフランス人がミラノをイメージして名付けた料理であって、ミラノではフランス料理と認識されていたのです。 エスコフィエの『Le Guide Culinaire』を読むと、「日本風(à la Japonaise)」と名前の付いた料理がいくつかありますが、その内容はというと、和食とは全く関係のない料理です。 なぜか正月のおせちに登場するcrosne=チョロギが材料に入っている場合、エスコフィエはその料理を日本風(à la Japonaise)と名付けるのです。 チョロギ 写真ACより このように、地名が入っているフランス料理には注意が必要です。その料理と料理名についている土地とのあいだに、関係があるとはかぎらないのです。 銀座フランス料理店のスパゲッティ・ナポリタンは、ナポリ由来なのか コメディアンの古川緑波によると、 戦前から営業していた銀座「スコット」では、スパゲッティ・ナポリタンが名物だったそうです(「食国漫遊24」『週刊東京 1956年2月第2週号』)。 スコットのナポリタンは”トマトソースで和えてある奴”だったそうです。ケチャップ味ではなかったのです。 スコットはミラノ風カツレツも出すフランス料理店でしたが、エスコフィエの『Le Guide Culinaire』には、その名もズバリNapolitaine(ナポリタン)という料理があります。茹でたスパゲッティをトマトピューレ、チーズ、バターで和えたものです。 Napolitaine Auguste Escoffier『Le Guide Culinaire』(1903年初版)より引用(画像:近代食文化研究会) このナポリタン 、単体料理ではなく添え物=garnitureに使う料理です。 『料理の友 1914(大正3)年10月号』の「素人にも出来る即席西洋料理」では牛肉と豚肉牛酪(ぎゅうらく)焼に、『料理の友 1915(大正4)年4月号』の「 三十銭の食費で出来る晩餐(ばんさん)向きの西洋料理」ではジャーマンステーキに、添え物としてトマトソースで和えたマカロニやうどんが登場します。これらはフランス料理の影響を受けたものです。 ところが『栄養と料理 1938(昭和13)年2月号』 の「西洋料理|粉物の扱ひ方」では、エスコフィエとほぼ同じレシピ、トマトピューレとチーズ、バターでスパゲッティを和えた「スパゲツト・アラ・ナポリタン」が一品料理として紹介されています。 トマトピューレで和える添え物のナポリタンが、一品料理に出世し、さらにトマトピューレがより入手しやすいトマトケチャップで代用されるようになった。 そうなると塩分過剰なのでチーズとバターが除外されるようになった。日本のナポリタンは、フランス料理における添え物ナポリタンがアレンジされたものなのでしょう。 もしそうならば、ナポリタンとナポリが関係するとはかぎりません。フランス料理につく地名は、けっこうでたらめなものですから。
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