自撮りのルーツ? 90年代のデジカメが作った「気軽な撮影文化」とは
カメラ付きの携帯電話の登場で大きく加速した撮影文化。そんな文化の先鞭をつけたのは1990年代のデジタルカメラでした。フリーライターの本間めい子さんが解説します。頻繁な写真撮影の始まりはデジカメにあり 東京の街を歩くと、あちこちで写真が撮られています。携帯電話にカメラが付き、スマートフォンが普及してからというもの、撮る機会は格段に増えました。 もっとも変化したのは、被写体の「慣れた感」でしょう。40年くらい前の家族写真を探して比べると違いがよくわかります。フィルムカメラ時代は、撮影の機会そのものが少なく、シャッターを押すのも多くても2回か3回。それ以上だと、決まって親から「フィルムを無駄にするな」と言われたものです。 さて、東京のあちこちで撮影が始まった始まりはデジタルカメラの普及です。デジタルカメラの技術開発は古く、1975(昭和50)年にアメリカのイーストマン・コダック社のスティーブ・サッソンによって発明されました。 デジタルカメラ(画像:写真AC) ただ、現在とは方式の異なる電子スチルカメラでした。開発は日本が先行し、1981年にソニーがフロッピーディスクに画像データを記録する「マピカシステム」を開発、以降各社で技術開発が進みます。 1984年のロサンゼルス五輪では朝日新聞社がマピカシステムを、読売新聞社がキヤノンの「スチルビデオシステムD413」を使用。撮影した写真を即時に送信できるフィルムのいらないカメラが話題となりました。 一般化の裏にあったパソコンブーム一般化の裏にあったパソコンブーム これを機に1986(昭和61)年、カシオは初の電子スチルカメラ「VS-101」を発表します。しかし、まったく普及しませんでした。価格は12万5000円と、当時普及していたビデオカメラと同価格で、大きさも同程度。そんな機種にもかかわらず、撮影できるのは静止画だけで、画質もフィルムカメラに劣っており、一般消費者が欲しくなる製品ではありませんでした。 それでも技術者たちの努力は続きます。 次に生まれたのが、現在のようなデジタル方式の画像記録方法で、アナログ方式に比べて、画像を伝送・複写をしても劣化させない技術でした。原理的には早い段階で可能とされていましたが、実用化に向けてデータ保持の方法や画像の圧縮技術など乗り越えるべき課題がありました。 1990年頃の秋葉原(画像:国土地理院) 富士フイルムは1988年にこれをクリアし、最初のデジタルカメラ「FUJIX DS-1P」を発表。これはあくまで試作品で、始めて市販されたのはアメリカのDycam社が1990(平成2)年に発売した「Dycam Model 1」でした。 当時の価格はとんでもないものでした。『朝日新聞』1989年10月17日付朝刊は、東芝と富士フイルムがデジタルカメラを開発していることを報じていますが、価格は1セット500万円前後になる予定としています。もちろん一般消費者が買うものではなく、記事中にも「業務用」として紹介されています。 一般化の裏にあったパソコンブーム 1993年の東芝によるフラッシュメモリの開発を挟んで、一般向けデジタルカメラの開発は進んでいきます。 1993年1月、富士フイルムが発表した「フジックス DS200F」は低価格化を狙ったコンパクトデジカメ。記録方式もフラッシュメモリーを採用し、画質も格段にアップ。かつ価格は従来機種の3分の1で、ずばり22万円。ちなみに写真を40枚程度保存できるフラッシュメモリーは1枚6万5000円でした(『読売新聞』1993年1月14日付朝刊)。 こうした努力を経て、ようやく消費者がデジタルカメラに目を向け始めたのは、1995年3月のカシオ「QV-10」の登場からでした。幅13cm × 奥行き4cm × 高さ6.6cmで重さは約190g。電源は単3電池4本。25万画素で内蔵メモリに最大96枚の写真を保存可能。価格は6万5000円でした。 マイクロソフト社の基本ソフト「Windows95」日本語版発売で混雑する秋葉原の「ラオックスコンピューター館」。1995年11月23日撮影(画像:時事) 低価格が人気を呼んだことに加えて、Windows95の登場によるパソコンブームも追い風に。その結果、一般消費者がデジタルカメラを手にするようになったのです。 1997年頃から始まった写真ブーム1997年頃から始まった写真ブーム QV-10のヒットで「現像に出す必要がない」「撮り直しができる」と話題になったデジタルカメラですが、なんやかんや「高価なホビー」という見方をぬぐい切れていませんでした。というのも、デジタルカメラはフィルムカメラに比べて画像が粗く、かつパソコンがないと不便と見られていたからです。 現在のデジタルカメラは1万円台の廉価品でも800万画素程度はあります。ところが普及当初のデジタルカメラを見ると、1996(平成8)年10月に発売されたオリンパスのキャメディアの最上位機種C800-Lが81万画素で、実勢価格が10万円以下でした。 もうひとつ普及を阻んでいたのが、規格の不統一です。とりわけ記録媒体は内蔵メモリのほか、各種のメモリーカード規格が競合している状態でした。 それでも市場が熱を失わずに技術開発と規格統一の動きが進んだのは、消費者の需要があったからです。需要の要因は1997年頃から始まった写真ブームです。 プリクラの聖地と呼ばれた渋谷(画像:写真AC) もとをたどれば1995年のプリクラブームがはしりですが、1997年頃、若者たちの間では写真が友達と会話するときの話のネタ、コミュニケーションツールとして多用されるようになっていました。 それまでの家庭にあるアルバムよりもカジュアルに友達同士で撮った写真を見せ合いながら盛り上がる文化。このブームで、カメラはひとり1台持っていて当たり前になりつつありました。 進む低価格化、高画質化進む低価格化、高画質化 デジタルカメラの技術も、現像しても美しく見える画質(最低80万画素)を目指して向上していきます。 そして低価格化が進行するにつれて「デジタルカメラは画質が悪い」という先入観も消えていきます。仕事でカメラを使う世界、例えば工事の進行を記録する建築業界でも21世紀になるとデジタルカメラが当たり前に。 工事現場での記録写真は、防滴・防じん・防砂に優れ、泥にまみれても落としても壊れにくいコニカの「現場監督」が長らく定番でした。しかしそんな製品も2000年代には徐々に姿を消していきました。 出版業界でも、デジタルカメラは「データが消えたらアウト」という恐れがあったため、フィルムカメラに対する「信仰」はあついものがありました。実際、2000年代半ばまでは記憶媒体が不安定で、データ移行の際に写真がすべて吹き飛ぶことがあったといいます。それも信頼性が高まるにつれて、次第にデジタルカメラへと置き換わっていきました。 自撮りをする親子(画像:写真AC) こうして誰もが気軽にシャッターを押せる時代になったのです。
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