「おじさん趣味」にハマる現代女性の元祖? バブル期「オヤジギャル」の鮮烈な記憶

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「おじさん趣味」にハマる現代女性の元祖? バブル期「オヤジギャル」の鮮烈な記憶

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星野正子

20世紀研究家

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80年代後半から90年代かけて、中高年男性のような言動をとる若い女性「オヤジギャル」が話題になりました。20世紀研究家の星野正子さんが当時を振り返ります。

「おじさん趣味」を好む女性たち

 東京で暮らすメリットのひとつに、さまざまな趣味に対して気軽にチャレンジできることがあります。さまざまな趣味を見ていると、その多くが、男女ともに楽しめるものへと変化している印象を受けます。

 筆者(星野正子、20世紀研究家)は歴史好きですが、歴史ファンは今や、男性より女性の方が多いのではないでしょうか。

「歴女」という言葉が普及する以前から歴史関連の書籍を読んだり、博物館巡りを楽しんだりする女性はある程度いましたが、今では圧倒的な存在感です。鉄道についても同様でしょう。

 そのひとつの例として、女子高生が中高年男性向けの趣味を楽しむ漫画の増加が挙げられます。女子高生がマージャンを競う、小林立のマージャン漫画『咲-Saki-』は、2006(平成18)年の連載開始当初こそ異色の作品とされていましたが、今は同様の作品が当たり前のようにあります。

 少し調べてみただけでも、

・登山 = 『ヤマノススメ』(泰文堂)
・自転車 = 『南鎌倉高校女子自転車部』(マッグガーデン)
・釣り = 『放課後ていぼう日誌』(秋田書店)
・旧車 = 『ぜっしゃか!』(KADOKAWA)

などなど。

 この記事を書くにあたっていろいろと調べていたら、ひたすら女子高生が東京の城跡を巡るという、山田果苗『東京城址女子高生』(KADOKAWA)という作品を見つけ、思わず全単行本を買ってしまいました。

 また、探訪趣味のなかでもコアな行き先だった「遊郭跡」は今では女性の方が多いです。2021年の現在、「おじさん趣味」というくくりは過去のものになりつつあるといえるでしょう。

そんな女性たちはいつから増えたのか

 そんな女性たちは、いつ頃から登場したのでしょうか。それを知るためには、1980年代後半のバブル期の東京に急増した「オヤジギャル」についてまず触れなければなりません。

中尊寺ゆつこの漫画「スイートスポット」(画像:扶桑社)



 オヤジギャルとは人前でおじさんっぽいことを平気で行う女性たちで、中尊寺ゆつこの漫画「スイートスポット」で知られるように。この言葉が広まりかけた頃のオヤジギャルたちの行動で注目されたのは、

「牛丼店や立ち食いそば店にひとりで入っている」

でした。

 2021年の現在では考えられませんが、30年前まで牛丼店や立ち食いそば店に入るのは、学生かサラリーマンに限られていました。そうした店は食事を安く・早く済ませるためだけの場所で、若い女性が入るなんてとんでもないことだと考えられていたのです。

 そんな時代の東京に登場したのが、オヤジギャルでした。東京でオヤジギャルが増えたのは言うまでもなく、女性の社会進出が最も進んでいた場所だから。その行動形態は、次の通りです。

・通勤時:スポーツ新聞で野球や競馬の記事を読むか、日本経済新聞で株価のチェック
・昼食時:立ち食いそばや牛丼、カツ丼などをかき込む
・終業後:居酒屋で「プッハーッ!」

 笑うときは「ダハハ」と往年の内閣総理大臣・田中角栄のように笑い、会話に男言葉が混じるのは当たり前。そこに、駅の売店で牛乳をイッキ飲みしたり、疲れて栄養ドリンク「ユンケル黄帝液」を飲んだりすれば、もう完璧でした。

 加えて『DIME』1989年11月16日号によれば、

・つい「疲れた」と口にしてしまう
・終電に遅れそうになり走ったことがある
・メークを3分で仕上げる自信がある

などが「オジ(サ)ン化」の行為とされています。なお「オヤジギャル」は1990(平成2)年、「第7回 ユーキャン 新語・流行語大賞」の新語部門で銅賞を獲得しています。

広尾にパチンコ店ができた

 2021年現在、ファストファッションに身を包んだ女性が前述ように振る舞っても、あまり目立ちません。しかし当時はロングヘアで、肩の張った服をガッチリ着こなした女性がこのような行動をしていたのです。なるほど、社会現象になったのは当たり前だといえます。

牛丼のイメージ(画像:写真AC)



 オヤジギャルの流行は、東京の街の姿すら変えました。

 これまで会社帰りの若い女性がパチンコを楽しむのは当たり前でしたが、とてもパチンコ店がある雰囲気には見えなかった広尾にすらパチンコ店が開店したのです。その客層は当初3分の1が女性で、近くにある聖心女子大学の学生も多かったといいます(『SPA!』1990年5月23日号)。

 こうした女性のおじさん化によって人の流れは変わり、新たな東京が生み出されていったのです。「牛丼店に入る女性なんて昔はいなかったんだよ」といっても、もはや誰も信じてくれない時代になりました。

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