鉄道と飛行場のパワーが生み出した街「立川」 大型施設も充実、あなたが持ってるイメージは?
人口18万人、多摩地区の中核都市である立川市。そんな同市の発展の歴史について、まち探訪家の鳴海侑さんが解説します。立川は「多摩の中心」 新宿からJR中央線で約30分のところにある立川。駅前に大型商業施設が集積し、三つのJR線と多摩都市モノレールが通る交通の要衝でもあることから「多摩の中心」とも言われます。そんな立川ですが、駅周辺を歩いてみるとまちの特徴や歴史が見えてくるのです。 立川駅前の様子(画像:(C)Google) JR立川駅はJR中央線、JR青梅線、JR南武線が乗り入れる駅で、駅の南北には多摩都市モノレールの立川北駅と立川南駅があります。この4路線により多摩地区の広いエリアから簡単にアクセスが可能で、駅周辺には大型商業施設が集中しています。 JR立川駅直結の商業施設だけを見ても、 ・エキュート立川(柴崎町) ・ルミネ立川(曙町) ・グランデュオ立川(柴崎町) と三つのJR東日本系の商業施設があります。 エキュートは飲食に重点を置いた駅構内の商業エリアブランド、ルミネは若者をターゲットにしたファッションビル、グランデュオは駅直結型百貨店とそれぞれターゲットや役割、さらには運営会社も異なります。 JR東日本の駅でもこれだけの商業施設ブランドが駅直結であることは大変珍しく、特に「グランデュオ」は立川以外には蒲田にしかない珍しい商業施設です。 さまざま印象を持たれる街「グランデュオ立川」のある駅の南側へ出ると、右手には多摩都市モノレールの立川南駅があり、左手には繁華街が広がっています。 特に場外馬券売り場「ウインズ立川」(錦町)周辺より東側の錦町1丁目は、かつて風俗営業が認められていた「赤線」と呼ばれる区域があったエリア。後述する立川飛行場を接収していたアメリカの兵士がよく訪れた場所です。 立川駅の南側(画像:(C)Google) また、錦町1丁目とJR中央線を挟んで北側のエリアも細い路地や飲食店の多いエリアでこのエリアのイメージをもって「立川は治安が悪い」という人がいます。 一方で多摩都市モノレール沿いのエリアは整理された街路が中心のエリアで、南へ伸びる多摩都市モノレール沿いは住宅地も近く、落ち着いた雰囲気です。 陸軍の飛行場があった街陸軍の飛行場があった街 今度はJR立川駅の北側に目を移すと、駅前から北西に伸びる北口大通り沿いに大型家電量販店の「ビックカメラ」やさまざまなテナントが入る大型商業ビルの「フロム中武」(曙町)があり、1本通りを入ると元々「ダイエー」だった「MEGAドンキホーテ立川店」(同)があります。 そして立川で近年積極的な再開発が行われたのが、駅の北側の多摩都市モノレール沿いのエリアです、 駅の近くから「伊勢丹立川店」と「立川高島屋S.C.」が駅直結のデッキで結ばれ、ふたつの百貨店の間を通る緑川通りより北側には、大規模なビルがモノレールを挟むように立ち並んでいます。このあたりは再開発によって生まれたビルで、元々は立川飛行場がありました。 1930(昭和5)年発行の地図。「飛行場」「飛行機製作場」などの記載がある(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕) 立川飛行場は1922(大正11)年に作られた陸軍の飛行場で、鉄道路線が至近にあることから物資や兵員輸送が効率よく行えるため、この地に設けられました。また、隣接して、 ・立川飛行機 ・日立飛行機 ・昭和飛行機 といった飛行機製造メーカーの工場が立地していました。 第2次世界大戦が終結すると、立川飛行場はアメリカ空軍の基地として接収されます。その後は立川駅近くの「赤線」にアメリカ軍の兵士が多く訪れ、立川はアメリカ軍のいるまちというイメージがついていきました。 その後、横田基地に空軍の機能は移転し、接収していた土地も1977(昭和52)年に全面返還されます。返還された土地の中央部は昭和記念公園として整備され、東側は立川飛行機があった場所が立川飛行機の流れをくむ立飛企業と新立川航空機に返還され、残りは立川飛行場を中心とした陸上自衛隊立川駐屯地と国有地になりました。 国有地では飛行場に隣接するエリアが立川広域防災基地として整備され、病院や東京消防庁や海上保安庁、警視庁の施設があります。 元国有地に民間企業が次々と進出する街 また、2016年に公開された映画「シン・ゴジラ」でゴジラが都心を襲撃したのちに政府機能が移転した「立川災害対策本部予備施設」もここにあります。 実際に東京都心を襲う巨大災害が起こった際に首相官邸や霞ヶ関、防衛省といった災害対策本部を置ける場所が機能できなくなるとここに災害対策本部が移転することになっており、東京都心部で災害が発生した場合のバックアップ機能の一部がこの立川広域防災基地にはあるのです。 国有地は一部民間への売却も進み、大型家具店の「IKEA立川」(緑町)は立川飛行場跡地の国有地だったところにできたものです。 立川市緑町にある「IKEA立川」(画像:(C)Google) 民間に返還されたエリアでは立飛企業が不動産事業を積極的に推し進め、多摩都市モノレールの立飛駅はこの立飛企業から名前がとられました。 そして2012年に立飛企業と新立川航空機が立飛ホールディングスの傘下に入ると、不動産事業はさらに加速します。2015年には「ららぽーと立川立飛」(泉町)を三井不動産(中央区日本橋室町)と共同事業として開業。 2020年春には国有地から取得した街区に商業施設・オフィスビル・公園・ホールなどからなる複合施設「GREEN SPRINGS」(緑町)が開業しました。ここは立川の新たな名所としていま注目を集めています。 災害時の重要拠点にもなる街災害時の重要拠点にもなる街 ここまでJR立川駅周辺の特徴や歴史について書いてきましたが、エリアごとにイメージの異なるまちであり、ずいぶんと独特な歴史があることがうかがえます。特に立川飛行場に関連したエリアは近年の立川のイメージを生み出す場所となっていると共に、災害時の重要拠点ともなっています。 2020年4月に開業した「GREEN SPRINGS」(画像:立飛ホールディングス) 立川は市の人口だけで見ると18万人と多摩地域で最も人口の多い八王子市に比べると1/3ですが、鉄道路線が集まることによる商業の発展と立川飛行場が生み出した拠点性があり、多摩地区を語る上では欠かせないまちになっています。 東京の西側にあっても意外とどんなまちかはわからない「立川」。ぜひ立川駅を中心に東西南北で大きく異なるまちの様子から発展の歴史を感じてみてください。
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