約50年前に地図から消滅 府中市を走った幻の路線「下河原線」をご存じか
2021年9月26日
知る!TOKYO約50年前、地図から消えた「下河原線」という路線をご存じでしょうか。今回、ライターの野村宏平さんがその跡をたどります。
総延長は10km足らず
京王線と京王競馬場線、JR南武線と武蔵野線、西武多摩川線が走り、14の駅を有する東京都府中市は、多摩地域のなかでも鉄道網が充実したエリアといえるでしょう。
しかし今から50年近く前、地図から消えた路線があります。府中市を南北に走っていた国鉄(現JR)下河原線です。

単線で総延長10km足らずの短い路線でしたが、その歴史をたどってみたいと思います。
府中最初の鉄道だった下河原線
1910(明治43)年、東京砂利鉄道が国分寺駅と下河原(現・府中市南町)間に開通させた路線が下河原線の始まりです。現在の府中市域では初めての鉄道でしたが、当初は旅客輸送はおこなわず、多摩川の砂利の採取と運搬を専用にしていました。
ところが1914(大正3)年、多摩川の氾濫によって線路の一部が流され、運休を余儀なくされてしまいます。2年後、陸軍によって修復され、軍用鉄道として使用されましたが、1920年に鉄道省(後の国鉄)が買収。中央本線貨物支線となりました。
大正から昭和初期にかけてのこの時代、府中市域では下河原線に続いて新しい鉄路が次々と敷かれています。
・1916年:京王電気軌道(現・京王電鉄)の調布~府中間
・1917~1922年:多摩鉄道(現・西武多摩川線)の境(現・武蔵境)~是政間
・1925年:玉南電気鉄道(翌1926年に京王電気軌道に合併)の府中~東八王子(現・京王八王子)間
・1928~1929年:南武鉄道(現・JR南武線)の大丸(現・南多摩)~立川間
下河原線に大きな転機が訪れたのは、1933(昭和8)年、目黒にあった東京競馬場が府中に移転してきてからです。翌1934年、東京競馬場の西方まで引き込み線を敷設し、東京競馬場前駅を開設。競馬開催日に限って旅客輸送を開始するようになりました。

東京競馬場前駅は南武鉄道の府中本町駅のすぐ近くに設けられましたが、南武鉄道が当時私鉄だったこともあり、乗換駅にはなりませんでした。
その後、国分寺との中間に設けられた富士見仮信号場(現・北府中駅)周辺には府中刑務所、日本製鋼所、東京芝浦電気(現・東芝)、陸軍燃料廠(戦後は米軍府中基地。現・府中の森公園)ができ、これらへの専用引き込み線も敷設されました。
太平洋戦争中、旅客営業は休止されましたが、国分寺~富士見仮信号場間では、軍需工場の従業員を輸送する専用電車が運転されたということです。
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