私がネット上のどんな『シン・エヴァ』論争にも共感できない理由
テレビアニメ版の最終回からもう25年 2021年3月8日(月)の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開からもうすぐ1か月が経過します。制作サイドが要請していた「ネタバレ禁止」は解禁へとシフトし、インターネット上、SNS上ではさまざまな意見や考察が飛び交っています。 テレビアニメ版の最終回から25年。今回ついにシリーズが完結してファンは熱く燃えていると思いきや、インターネット上の議論を見ても熱気がいまいち感じられません。 25年の悶々(もんもん)とした思いに決着がついたら人生が終わってしまいそうで、筆者(昼間たかし、ルポライター)はまだ作品を見ていません。その一方で、興行収入は日増しに積みあがっています。 熱気がいまいち感じられないのは、25年という時間がファンの感情を劣化させるには十分すぎるほど長かったからなのでしょうか。 逆に、テレビアニメ版が放送されていた1995(平成7)年と1996年、ファンはなぜあんなに熱くなれたのでしょうか。その謎を、当時の若者たちの生活スタイルから考えていきます。 インターネットが普及していなかった1996年 現在と異なり、当時はインターネットと携帯電話が普及していませんでした。 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』ポスター(画像:錦織敦史、カラー、Project Eva.、EVA製作委員会) 筆者が大学生だった1996年当時、インターネットに触れたことのある人は東京でも決して多くありませんでした。前年の「Windows95」ブーム以降、パソコンを所有する人は確実に増えていましたが、パソコン通信の電子メールを持っている人はまだ「レアな人」だったのです。 当時のパソコンはとても高価で、学生は必死にバイトするか、ローンを組むかしないと買えませんでした。しかも買った学生の大半は「卒論のために役立つ」などと言いつつも、実際はパソコンゲーム用に使っていました。 コミュニケーションが活発だった時代コミュニケーションが活発だった時代 当時は人間同士のコミュニケーションがまだ残っていました。 現在、ほとんどのゲームの攻略情報はインターネット検索ですぐに見つかります。当時も同様の情報は専門誌に掲載されていましたが、内容を知るのは雑誌の発売以降になります。 そのため、ゲームのクリアを目指す人たちはリポート用紙にチャート図を書いたり、自宅で複数の友人と話し合ったりして攻略を行っていました。 友人との意見交換会のイメージ(画像:写真AC) このようなさまざまな意見が飛び交う時間はとても濃厚で、他人の考え方やものの見方を学べ、気付きも得られました。また攻略に飽きたら、皆で「桃太郎電鉄」をプレイしたり、まだ見ていないOVA(セルビデオ向けに制作されたアニメ作品)を鑑賞したりしました。 もちろん、テレビアニメ版のエヴァンゲリオンの最終回についても話し合い、自分の考察について朝まで友人たちと議論し続けました。 娯楽は「仲間で楽しむもの」だった 今思えば青臭くてどうでもいい議論だったのかもしれませんが、アパートの一室で、限られた人数で行われていたということもあり、熱量だけはすごいものがありました。 古いアパートのイメージ(画像:写真AC) 意図しないところで見知らぬ人からたたかれるSNSでは言えないような暴論でも、知り合い同士ならさほど問題にならず、勝手気ままに話し合うことができます。 当時の「エヴァ熱」がすごかったのは、SNSとは真反対の「距離の近い会話」を当たり前に行っていたから、またそうすることができた時代だったからなのではないでしょうか。 ひとりで何でも楽しめる現在とは異なり、当時は娯楽と言えば仲間で集まって楽しむものだったのです。 このような、お互いの顔を突き合わせ、同じ空間で長時間ともに過ごすことで生まれる濃厚なコミュニケーションは、現代ではいっそう困難になっています。エヴァに限らず、アニメに限らず、さまざまなジャンルのカルチャーでも同様です。 1995~1996年の熱をが取り戻すために、ファンがやらなければならないこと――それは「距離の近い会話」なのです。あなたはどう思いますか?
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