少数精鋭で独自路線 ミッション系最難関「上智大学」とはどのような大学なのか
2020年5月3日
ライフミッション系大学の中で最難関とされる上智大学。その歴史は意外にも苦難との戦いでした。教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。
ミッション系の雄だが最古参ではない
上智大学(千代田区紀尾井町)は、ミッション系大学の中で最難関大学とされています。そのため、創立も古く歴史ある大学と思われがちです。

しかしその誕生は、同じくミッション系大学である1874(明治7)年創立の青山学院大学(渋谷区渋谷)と立教大学(豊島区西池袋)の約40年後で、最古参ではありません。
それではなぜ、上智大学は現在のような総合大学に成長していったのでしょうか。
イエズス会が立てたカトリック大学
日本のミッション系大学は、プロテスタント系とカトリック系の大きくふたつに分けられ、上智大学は後者です。
聖心女子大学(渋谷区広尾)や白百合女子大学(調布市緑ヶ丘)など、都内にあるカトリック系の他4大学は全て女子修道会が創立した教育機関ですが、上智大学はイエズス会が創立しました。
イエズス会は日本で初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルも所属した、カトリック組織のひとつです。
ローマ教皇ピオ10世(1914年没)が「日本に大学を創立したい」とイエズス会に要請し、3人の会士を日本へ派遣。それから5年の月日をかけ、1913(大正2)年に専門学校として創立されました。本部は当時と同じく、千代田区紀尾井町に置かれています。

しかし創立直後に第1次世界大戦が始まり、イエズス会などからの支援は望めず、追い打ちをかけるように1923年、関東大震災が発生。建物が崩壊するなど、学校を取り巻く環境は次第に悪化していきます。
1928(昭和3)年、大学令による大学となって文学部と商学部を開設したものの、第2次世界大戦の発生で、キリスト教は敵国の宗教とみなされ圧力をかけられるなど、その困難はさらに深刻なものへとなっていったのです。
そうした状況が一変したのは、戦後からでした。

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