偏差値至上主義を粉砕? 一芸入試の先駆者「亜細亜大学」とはどのような大学なのか

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偏差値至上主義を粉砕? 一芸入試の先駆者「亜細亜大学」とはどのような大学なのか

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中山まち子

教育ジャーナリスト

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アジアで活躍できる人材の育成に力を入れる亜細亜大学ですが、一方、一芸入試の先駆者の顔も持ちます。教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。

アジア諸外国とのつながりが強い

 亜細亜大学(武蔵野市境)の起源は、大戦直前期の「大東亜共栄圏」という思想に基づき、大陸や南方で活躍する人材を育成するため、国士舘専門学校(現在の国士舘大学)に1939(昭和14)年に設置された興亜科です。

武蔵野市境にある亜細亜大学(画像:(C)Google)



 興亜科は当初より独立経営だったため、1941(昭和16)年に国士舘専門学校から離れ、現在の武蔵キャンパスの地に興亜専門学校が創立されました。亜細亜大学もこの年を大学の創立年としています。

 栗田充治前学長が書いた「亜細亜大学の歴史と21世紀の大学像」によると、専門学校では宣撫(せんぶ)工作や情報収集活動に携わる人材育成を目的としていたことが記されています。

 なお宣撫工作とは、「軍隊占領地において軍政を施行する際、被占領地住民が軍政に対して敵対行動を走らず、協力的態度をとるようにするために住民への援助を行う仕事」(小学館「日本大百科全書」)です。

 終戦後は学校設立の経緯もあり、難しい立場に置かれていましたが、名称を日本経済専門学校、日本経済短期大学に変更。そして1955(昭和30)年には大学に昇格し、校名を亜細亜大学とし、現在に至ります。

一芸一能入試を導入した先駆者

 亜細亜大学は文系学部のみで構成され、

●経営学部
・経営学科
・ホスピタリティ・マネジメント学科

●経済学部
・経済学科

●法学部
・法律学科

●国際関係学部
・国際関係学科
・多文化コミュニケーション学科

●都市創造学部
・都市創造学科

の5学部7学科、学部生6523人が学んでいます(令和2年度5月1日時点)。

亜細亜大学の所在地(画像:(C)Google)



 また、亜細亜大学は「一芸一能入試」を実施した大学としても知られています。

 偏差値だけでなく、多角的に受験生のやる気や能力を見る試験制度は、1988(昭和63)年に「ユニーク推薦入試」の名称で実施が決定。翌1989年度入学者試験からスタートし、現在も一芸一能入試として続いています。

 この新しい入試スタイルは各方面に賛否を巻き起こしました。スポーツ推薦入試だけでなく、文化的な分野で活躍をしている受験生にスポットライトを当てるこの制度は、偏差値重視の当時としてはかなり斬新でした。

 この新たな入試制度は、早稲田大学(新宿区戸塚町)の社会科学部の自己推薦入試(1989年度~)、慶応義塾大学(港区三田)に新設された総合政策学部・環境情報学部のAO入試(1990年度~)と同時期に登場しました。

 結果として、それまで学力試験メインだった私立大学の入試制度の風穴を開けることになり、入学試験の多様化への道筋を作った画期的な制度として評価されています。

芸能人の大学進学にも一役

 そしてなにより、亜細亜大学の一芸一能入試の登場で大きく増えたのが、芸能人の大学進学です。

 今では芸能人が仕事をしながら大学に通うことは珍しくありませんが、昭和から平成初期にかけて、彼らが大学進学することは一般的ではなかったのです(もちろん現在、大学進学者そのものの割合が増えていることも一因です)。

 現在は高学歴アイドルが報道番組のキャスターを務めたり、クイズ番組で活躍したりしていますが、昭和から平成初期にかけては「アイドル = 知的な存在」というテレビ演出はほとんどありませんでした。

現在のアイドルのイメージ(画像:(C)Google)



 乱暴な言い方をすれば、亜細亜大学の入試改革は「芸能人に学歴は不要」という世間の考えを壊し、芸能人の大学進学の道筋を作るきっかけとなったといえます。

 そして一芸一能入試の結果、絶大的な人気を誇ったアイドルグループのメンバーや若手俳優、女優などが入学しています。

アジア経済の勢いが追い風になるか

 また亜細亜大学は学校の歴史を背景に、語学や留学制度や国際交流に熱心に取り組んでいます。

 外国語科目は英語やフランス語といった欧米の主流言語だけではなく、モンゴル語やタイ語、ヒンディー語といったアジア諸外国の言語を含む14言語を開講しています。

 国際交流では1950年代後半以降、香港や台湾への留学やアメリカ研修、シンガポールへの留学生派遣など、積極的に海外の教育機関との交流を重ねてきました。

亜細亜大学のウェブサイト(画像:亜細亜大学)



 そんな同大の名物はAUAP(亜細亜大学アメリカ留学プログラム)で、留学を望する学生が5か月間アメリカに滞在する制度です。

 開始は1989(平成元)年からで、現在はコロナ禍ということもあり派遣中止となっていますが、AUAPを含め五つの留学プログラムが用意されています。

 21世紀に入り早くも20年が経過しました。目覚ましく成長したアジア経済の勢いは今後も続くと予想されているため、アジア各国とつながりの強い亜細亜大学の存在感は今後増していくかもしれません。

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