いくつ覚えてる? 東京から消えた「牛丼チェーン」の数々

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いくつ覚えてる? 東京から消えた「牛丼チェーン」の数々

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ミゾロギ・ダイスケ(ライター、レトロ文化研究家)

大手企業による市場の寡占化が進む現在と異なり、かつて都内には大小さまざまな牛丼チェーンが存在していました。その歴史について、ライターのミゾロギ・ダイスケさんが解説します。

吉野家、すき家、松屋だけじゃない

 牛丼チェーンの吉野家は、1899(明治32)年に現在の中央区日本橋で創業しています。それから120年以上がたち、都内の繁華街、駅前商店街、幹線道路沿いなどには当たり前のように牛丼店を見かけますが、それらはほぼ四つのチェーンに限定されます。

 言わずもがな、

・すき家(1940店)
・吉野家(1186店)
・松屋(955店)

の3強と、ナンバー4の

・なか卯(464店)

です(なか卯は2021年2月、ほかは2021年5月現在)。

 なか卯はすき家と同系列のため、牛丼業界は実質、3社の寡占状態だといえます。

 しかし、かつては東京の街にもっとさまざまな牛丼のチェーン店がありました。一体どのようなものがあったのでしょうか。皆さん、覚えていますか?

B級感が愛された「牛丼太郎」「牛友チェーン」

 牛肉、玉ねぎに加え豆腐を載せた「牛どん」が特徴で、ほかにも「かつどん」「親子どん」、卵とじの牛丼「開化どん」などメニューが豊富なたつやはかつて、小規模ながらチェーン展開していました。

牛丼のイメージ(画像:写真AC)



 ところが、2000年代に銀座や日本橋、神保町などの店舗が次々に閉店。現在はチェーンではなくなり、新宿に1店のみが「たつ屋」の屋号で残っています。

 牛丼太郎は、低価格で他チェーンとの差異化を図っていました。牛丼の低価格競争が激化した2000年代初頭になんと「牛丼」並が200円、「お新香」は10円という仰天プライスだったことも。

 結果的にそれが経営を苦しめたのか、2013年に運営会社は破産。なお。元牛丼太郎のスタッフが独自に経営する丼太郎(文京区小日向)という牛丼店が地下鉄茗荷谷駅近くに存在します。

 カレーと牛丼の具をダブルでご飯の上に盛るメニューが名物のひとつだった牛友チェーンは、1990年代には都内各地に店舗がありました。しかし、こちらも運営会社が倒産。最後まで残っていた桜台店も2002(平成14)年末に閉店となることで、完全に姿を消しています。

 ただし、現在は大井町に牛八(品川区大井)という牛友チェーンの流れをくむ店があり、同様のメニューを提供しています。

「養老乃瀧」の牛丼は2017年に復活

 新宿や秋葉原や水道橋などに店舗があったどんどんは2009(平成21)年に消滅。秋葉原店は電気街に飲食店が少なかった時代に、サンボ(千代田区外神田、現在も営業中)というチェーン店ではない牛丼店などと並ぶ、アキバの貴重なエネルギー補給ポイントでした。

 なお、どんどんの屋号は、別業態のチェーン・情熱のすためしどんどんに継承されました。

生卵のイメージ(画像:写真AC)



 すき家や松屋が大きく成長する以前、吉野家と2強を形成していたのが居酒屋チェーン・養老乃瀧です。1977(昭和52)年以降、昼の時間帯に牛丼を提供する店舗として営業していたのです。

 やがて、二毛作営業だけではなく、新宿に牛丼専門店を出店するまでになった養老乃瀧ですが、2000年代初頭に牛丼ビジネスから一時撤退。しかし、「また、食べたい」という声に応える形で、2017年に居酒屋のメニューとして牛丼を復活させています。

大手だった「神戸らんぷ亭」は完全消滅

 牛丼専業ではない養老乃瀧は文脈が異なりますが、不思議なもので「消えた牛丼チェーン」の多くは、上記のように何らかの形でその灯が今も残されています。

紅しょうがのイメージ(画像:写真AC)

 その一方、跡形もなく消えてしまったチェーンもあります。それは、当初は流通大手のダイエーグループが手掛けた神戸らんぷ亭です。1993(平成5)年、恵比寿に1号店がオープンして以降、首都圏を中心にピーク時には50店ほどに広がりました。

「塩牛丼」「チキマヨ丼」など独自メニュー展開もありましたが、運営会社の変更を経て、牛丼店としては2015年7月までに全店舗が閉店となりました。以前、神戸らんぷ亭があった場所には、同じ運営会社による他業態の飲食店が営業しているケースがみられます。

 また、牛若丸は、吉野家の関連会社が2018年に池袋で展開した新規の牛丼店で、「きつね牛丼」という厚手の油揚げを乗せた牛丼をウリにしていました。しかし大きくチェーン展開されることなく、2020年に消滅しています。

「東京チカラめし」はどうなったのか

 最後に、「焼き牛丼」ブームを起こした東京チカラめしについても触れておきましょう。

 このチェーンは、2011(平成23)年に池袋に1号店をオープン後、すぐに100店を超える急拡大をみせました。ところがブームは短期間で去り、数年で閉店する店舗が続出。気がつけば街で見かけることが激減していきます。

牛丼のイメージ(画像:写真AC)



 ただし、東京チカラめしは「消えた牛丼チェーン」ではありません。2021年6月現在、都内では新宿に店舗が残っていますし、他に千葉県鎌ケ谷市、大阪府大阪市の店舗も営業中です。

 牛丼チェーンの消滅には主にふたつのパターンがあります。

・運営会社が経営難で倒産するケース
・経営判断から牛丼店から他業態に転換するケース

です。

 かなり昔のことですが吉野家の運営会社(現在とは別法人)も倒産したことがあります。牛丼店の経営は実は難しいビジネスなのかもしれません。

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