いくつ覚えてる? 東京から消えた「牛丼チェーン」の数々
2021年6月29日
ライフ大手企業による市場の寡占化が進む現在と異なり、かつて都内には大小さまざまな牛丼チェーンが存在していました。その歴史について、ライターのミゾロギ・ダイスケさんが解説します。
吉野家、すき家、松屋だけじゃない
牛丼チェーンの吉野家は、1899(明治32)年に現在の中央区日本橋で創業しています。それから120年以上がたち、都内の繁華街、駅前商店街、幹線道路沿いなどには当たり前のように牛丼店を見かけますが、それらはほぼ四つのチェーンに限定されます。
言わずもがな、
・すき家(1940店)
・吉野家(1186店)
・松屋(955店)
の3強と、ナンバー4の
・なか卯(464店)
です(なか卯は2021年2月、ほかは2021年5月現在)。
なか卯はすき家と同系列のため、牛丼業界は実質、3社の寡占状態だといえます。
しかし、かつては東京の街にもっとさまざまな牛丼のチェーン店がありました。一体どのようなものがあったのでしょうか。皆さん、覚えていますか?
B級感が愛された「牛丼太郎」「牛友チェーン」
牛肉、玉ねぎに加え豆腐を載せた「牛どん」が特徴で、ほかにも「かつどん」「親子どん」、卵とじの牛丼「開化どん」などメニューが豊富なたつやはかつて、小規模ながらチェーン展開していました。

ところが、2000年代に銀座や日本橋、神保町などの店舗が次々に閉店。現在はチェーンではなくなり、新宿に1店のみが「たつ屋」の屋号で残っています。
牛丼太郎は、低価格で他チェーンとの差異化を図っていました。牛丼の低価格競争が激化した2000年代初頭になんと「牛丼」並が200円、「お新香」は10円という仰天プライスだったことも。
結果的にそれが経営を苦しめたのか、2013年に運営会社は破産。なお。元牛丼太郎のスタッフが独自に経営する丼太郎(文京区小日向)という牛丼店が地下鉄茗荷谷駅近くに存在します。
カレーと牛丼の具をダブルでご飯の上に盛るメニューが名物のひとつだった牛友チェーンは、1990年代には都内各地に店舗がありました。しかし、こちらも運営会社が倒産。最後まで残っていた桜台店も2002(平成14)年末に閉店となることで、完全に姿を消しています。
ただし、現在は大井町に牛八(品川区大井)という牛友チェーンの流れをくむ店があり、同様のメニューを提供しています。
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