東京ビッグサイト恒例 世界最大級の同人誌即売会「コミケ」はいかにして生まれたのか

世界最大規模の同人誌即売会「コミックマーケット」。その歴史について、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。

日本のポップカルチャーが一堂に集結

 コミックマーケット(以下、コミケ)は東京ビッグサイト(江東区有明)で毎年8月・12月に開催される漫画同人誌の大規模な展示即売会です。

コミックマーケットが開催される東京ビッグサイト(画像:写真AC)



 類似イベントのスーパー・コミック・シティやコミコン・インターナショナル(アメリカ)と比べても、その規模は世界最大級。これまで定期開催だけで97回開催されています(2019年12月時点)。

 2013年夏に開催された「コミックマーケット84」では、東京ビッグサイトを3日間借り切って行われ、サークル参加者は約3万5000スペース、一般参加者数は約59万人に上りました。また2019年の「コミックマーケット96」では、東京ビッグサイトと青海展示場の2か所で4日間開催され、一般参加者数は約73万人でした。しかし2020年の「コミックマーケット98」はコロナ禍のため、中止を余儀なくされました。

 そんなコミケには、漫画・アニメ・ゲーム・音楽・アイドルなどの同人誌から、コスプレ衣装、アクセサリー、フィギュアなどの工芸品、ペット、ガーデニング、嗜好(しこう)品などの同人誌まで、現代日本のポップカルチャーが一堂に集まります。

 このような同人誌は店舗でも販売されていますが、コミケ限定の同人誌も多く存在するため、サークルにとっても一大イベントになっています。活字メディアはインターネットの普及で苦境に立っていますが、コミケには陰りが見えません。

 コミケの成長の背後にはどのような物語があったのでしょうか。もちろん最初から現在の規模だったわけではありません。

コミケ初開催は1975年

 最初のコミケは1975(昭和50)年、日本消防会館(港区虎ノ門)の会議室で開催されました。

港区虎ノ門にある日本消防会館(画像:(C)Google)



 サークル数は32、参加者数は推定で700人程度。初期は同人誌「迷宮」による運営で、

・原田央男(てるお)
・亜庭(あにわ)じゅん
・米澤嘉博
・高宮成河(せいか)

の4人が中心となっていました。

 迷宮は1975年、4人と式城京太郎を中心に結成。関西系の批評集団「構雄会」(同人誌名『漫画ジャーナル』)と関東の「コミック・プランニング・サービス」(同『いちゃもん』)の中心メンバーが合流した形でした。

 亜庭と高宮が『漫画ジャーナル』、原田と式城が『いちゃもん』のメンバーで、米澤は新組織発足に当たって原田から誘われ、メンバーになりました。

 メンバーの大半は大学卒業後、社会人になっていましたが、ファン活動を継続としていくために結成。原田が多彩な人脈で組織を構築し、亜庭が理論的な主導を行いました。

 役割分担は漫画批評誌『漫画新思想体系』の編集責任者が亜庭じゅん、原田がコミケの代表、米澤が両者のサポートを行うという形でした。のちに原田の代表辞任後、米澤がコミケの代表になり、亜庭も離脱。創作同人誌即売会MGMを主催することになります。

 コミケは理論的支柱だった「迷宮」から離れ、米澤代表のもとで自立の方向に向かい、現在のコミケにつながります。

 そして2006(平成18)年の米澤の死去で、

・安田かほる
・筆谷芳行
・市川孝一

による共同代表制に。存続を重視したことから、非営利・アマチュアのためのシステムなどの文言が理念から消えることになりました。

 コミケはその後、途方もない規模のイベントに成長。コスプレイヤーたちの数は毎回増えており、また外国人客も相当数来場しています。

増える2次創作物

 1975年開催された最初のコミケの会場は参加サークルが32(委託・展示サークルがほぼ半数)、参加者約700人、また参加サークルの半分近くを「学漫」といわれた学校内の漫画研究会などのサークルが占めました。

 それに次いだのは、萩尾望都(もと)の作品を中心とした少女漫画のファンクラブが多かったといいます。

板橋区仲宿にある板橋産連会館(画像:(C)Google)

 その後、

・板橋産連会館
・大田区産業会館(現・大田区産業プラザPiO)
・四谷公会堂(現・四谷区民ホール)
・東京都立産業会館 台東館(現・産業貿易センター台東館)

などを経ながら参加サークル、参加者ともに増加していきます。

 その後、学漫の比率は減少し、オリジナルの創作系が増え始めます。また『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』のヒットにより、アニメファンのサークルも目立ち始めました。

 しかしコミケが規模拡大するにつれ、売り手と買い手、作者と読者、ファン同士の交流も薄れ始めるという弊害も生じました。また2次創作物が増える傾向が見られ、オリジナルの創作物の比率が低下するという現象も見られるようになりました。

コミケの規模拡大が生んだ結果

 霜月たかなか(原田央男)は2008(平成20)年に発表した自著『コミックマーケット創世記』(朝日新聞出版)のなかで、

「そしてマーケットという言葉にはいま一つ、広場としての含意もあることにも僕らは気付いていた。人が出会い、交わり、新たな関わりが生まれる解放された空間。空間自体が何かを生み出すようなエネルギーをはらんだ場。米やん(米澤嘉博)はむしろこちらの方に惹かれたようだ」

と述べています。

『コミックマーケット創世記』(画像:朝日新聞出版)



 つまり、心を同じくして集まった漫画ファンがコミケを作り、しかし規模の増大に伴って、それぞれの道を歩んでいくことになったというわけです。

 この動きはさまざまなことを示唆してくれます。同好の士が集まり、一種の共同体を作っていくプロセスが、企画したコミケの拡大によって、それぞれのポジションに変化を与えたという点です。

 前述のとおり、コミケとともに人生を歩むことになるのは米澤だけ。仲間と一緒に起業したり、組織化したりという局面など、このようなプロセスは日常でも生じています。

日本の漫画界にコミケが貢献したもの

 コミケは奇跡のような出来事だったのかもしれません。

 ただ同好の士が集まって、権威に対して何らかの競合意識を持ち、新たな潮流を作っていくというのは、社会的にとても重要なプロセスです。

東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの様子(画像:増淵敏之)

 また、ほかのジャンルでは資本力のあるメジャーがインディーズを包摂していくというのがひとつのパターンになっていますが、漫画だけはコミケのおかげでインディーズが独自の成長を遂げたと見てもいいでしょう。

 つまりメジャーの出版社に規制されない、自由な発想・表現が維持できたのです。日本の漫画の底知れない多様化にも、コミケは大きな貢献を果たしてきたのかもしれません。

【調査結果】コミケでコスプレを楽しむマンガ・アニメ好きの20代女性は4人に1人だった!

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