平成の和光ウインドウディスプレイ16選、アートディレクター自らが振り返る
銀座のランドマーク、和光本館。そのウインドウディスプレイは、およそ66年にわたり、銀座を訪れる人びとの目を楽しませてきました。現在、アートディレクターを務めるのは、1990(平成2)年に和光に入社した武蔵 淳さん。平成のディスプレイを振り返り、思い出深いものを選んで解説していただきました。
平成の銀座を斬新に彩ってきたウインドウディスプレイ
服部時計店の小売部門を継承してスタートした和光(中央区銀座)。銀座4丁目にある本館は、ネオ・ルネッサンス様式の重厚感ある建物で、銀座はもとより東京のランドマークとしても知られる存在です。
その「顔」ともいえるウインドウディスプレイは、1952(昭和27)年に産声を上げます。3つのウインドウ(ショーウインドウ)を当時は3人のトップデザイナーがそれぞれ担当しました。

やがて、重厚な建物とは対照的なまでに斬新なデザインが真骨頂に。その芸術性は、商品ディスプレイの域を超えて話題を提供し、銀座を訪れる人びとを魅了する存在となっていきました。


現在、和光のアートディレクターを務めるのは、同社デザイン企画部部長の武蔵 淳さんです。1990(平成2)年に入社し、先輩のベテランアートディレクター、八鳥治久さんの下で10年間アシスタントを務めました。八鳥さんの後任として武蔵さんに白羽の矢が立ち、アートデイレクターに抜擢されたのは、2000(平成12)年のことでした。
「当時周囲は先輩ばかり、前任者はこの世界の『大御所』でしたから、正直、かなりのプレッシャーがのしかかりました。当初は自分の力不足を感じることばかりで、会社に行きたくない、ディスプレイを人に見て欲しくない、と思う憂鬱な日が度々ありました」(武蔵さん)
数々の賞を受賞してきた武蔵さんにそんな時代があったとは、にわかに信じ難くもあります。平成の和光のウインドウディスプレイと共に歩んできた武蔵さんに、自身の転機となったものも含めて、思い出深い平成ディスプレイを選んでもらいました。それら16点を紹介します。
ちなみに、昭和最後のディスプレイとなったのは、1988(昭和63)年のクリスマスシーズン用にデザインされたものでした。


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