渋沢栄一は国民的飲料「牛乳」の普及まで関わっていた! 背景にあるエピソードとは【青天を衝け 序説】
2021年3月28日
ライフ“日本資本主義の父”で、新1万円札の顔としても注目される渋沢栄一が活躍するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。そんな同作をより楽しめる豆知識を、フリーランスライターの小川裕夫さんが紹介します。
1854年に日米和親条約締結
大河ドラマ「青天を衝け」は、俳優・吉沢亮さんが演じる渋沢栄一が主人公です。幕末、日本は鎖国政策で海外との交渉を厳しく制限していましたが、マシュー・ペリーの来航により開港を迫られます。以降、諸外国から外国人が来日するようになりました。
江戸幕府に開国を迫ったペリーは、アメリカを代表した使節です。そのため、幕府は1854(嘉永7)年にアメリカと日米和親条約を締結。これにより、長い鎖国の時代は幕を下ろします。
開国と言っても、幕府が日米和親条約で外国船の入港を認めたのは北海道の函館と静岡県の下田の2港です。江戸に近いのは下田ですから、多くの外国船は下田へと寄港します。アメリカも下田の玉泉寺(静岡県下田市)を領事館として使用。そこを拠点に日米外交は展開されていきました。
明治に入ってから本格化した牛乳生産
日本へ赴任してきたタウンゼント・ハリスは、外交官として玉泉寺に長期滞在することになりました。その長期滞在でハリスを悩ませたのが食事です。
国が違えば、さまざまな文化が異なるのは当たり前です。ハリスが滞在した玉泉寺もアメリカの建物にはない畳・襖(ふすま)などがあり、生活スタイルに戸惑うことはあったでしょう。異なる文化の違いをそれほど気にしなかったハリスですが、牛乳が飲めないことにはかなり不満を抱いていたようです。

江戸時代の日本では、徳川吉宗治世時に千葉県で酪農が開始されました。千葉県で始まった酪農では、白牛酪(はくぎゅうらく)という乳製品を生産したことが記録されています。これは、現在でいうバターのような食品だったようです。
吉宗の時代から日本で取り組まれていた酪農ですが、日本人の間で乳製品のなじみはありません。あまり食用としては広まっていなかったゆえに乳製品の生産は限定的で、酪農は一般的とは言い難いものでした。
牛乳生産は、ハリスのような牛乳を欲する外国人が増えるようになった幕末に少しずつ始まります。それでも、日本で本格化するのは明治に入ってからでした。
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