音響はイマイチなのに日本武道館が「ライブの聖地」になったワケ

  • ライフ
音響はイマイチなのに日本武道館が「ライブの聖地」になったワケ

\ この記事を書いた人 /

小渕晃のプロフィール画像

小渕晃

音楽ライター、bmr元編集長

ライターページへ

1964年の開館以来、さまざまなイベントが行われてきた日本武道館。そんななか、最も知られているのが「ライブの聖地」としてです。いったいなぜ、そのようになったのでしょうか。音楽ライターで、ブラック・ミュージック専門誌「bmr」元編集長の小渕晃さんが解説します。

正式名称は「にっぽんぶどうかん」

 コロナ禍で会場に1年以上足を運べない現在、「ライブ・コンサートを思いきり楽しみたい」と考える人が多いようです。

 数十人規模のライブ・ハウスから数万人が集まるスタジアムまで、ライブ会場と言ってもさまざま。ただ、日本における「ライブの聖地」として、何十年も絶対的な存在感を放ち続けているのが日本武道館(千代田区北の丸公園)です。

日本武道館(画像:写真AC)



 日本武道館の正式名称は「にっぽんぶどうかん」で、かつての江戸城、現在の皇居の内堀内にあります。

 1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に際し、柔道会場として建設に尽力したのは正力松太郎(1885~1969年)。読売新聞社社長としてその発展に尽くし、日本テレビを、そして読売ジャイアンツを創設した大物でした。

最初のポップス公演はビートルズ

 日本武道館ではいかなる催しであれ、天井から日本の国旗が掲げられます。毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式を始め、国家的行事の開催も多く、神聖で特別な場所というイメージは今も根強いでしょう。

 しかし、開館の翌年にはオーケストラのコンサートが開かれ、2年後の1966年にはポップ・ミュージックのアーティストとして、ビートルズが最初のライブを行っています。

ビートルズの武道館ライブを収録したLPレコード「BUDOKAN 1966 」(画像:ETERNAL GROOVES)

 ビートルズの武道館ライブは唯一の来日公演となりました。前座には内田裕也や、当時は音楽バンドだった、いかりや長介率いるザ・ドリフターズらが出演。アリーナに席はなく、観客がいるのはスタンド席だけでしたが、それでも数万人がこのライブを目撃。

 そのなかには加山雄三や美空ひばり、沢田研二、宇崎竜童、財津和夫、ドリフターズ加入前の志村けんなど、ミュージシャンや著名人も多くいました。

70年代には早くも日本一のライブ会場に

 ビートルズの武道館ライブには、「外国人が日本武道の聖地でロックのライブをやるなんて!」という反対の声も少なからずありました。しかしこの歴史的なイベントが無事に開催されたことで、日本武道館の「ライブの聖地」としての歩みが始まります。

 翌1967年には、ビートルズに影響を受けた若者たちが始めたグループ・サウンズの一大ブームが起き、沢田研二や岸部シローのいたザ・タイガース、かまやつひろし、堺正章、井上順を擁したスパイダースらが合同で、日本のポップ・ミュージシャンとして初のライブを主催。

 ビートルズに続いた来日組は1968年のウォーカー・ブラザーズ、モンキーズで、1971年にはシカゴ、レッド・ツェッペリンが上陸。「ソウル・ファンクの帝王」であるジェームス・ブラウンが初来日公演を行った1973年からは、多くのライブが毎年開催されるようになりました。

 アリーナにも観客を入れるようになると、日本武道館は1万人前後を収容するライブ会場となります。今でこそ数万人が集まるライブも少なくありませんが、70~80年代は1万人を集められるアーティストはごくひと握り。加えて、海外の大物アーティストの主要ライブ会場となったことで、ミュージシャンの多くが目指すステージとなり、日本一のライブ会場だと捉えられていきます。

「Live at Budokan」が世界中でステータスに

 日本のソロ・シンガーで初めて武道館ライブを行ったのは、西城秀樹です。初登場した1975年から11年連続でソロ公演を開催。1976年のステージは録音され、ライブ・アルバムとしても発売されました。

 ここでの公演を収めたライブ・アルバムが非常に多く存在することも、日本武道館の存在感を際立たせている要因のひとつです。

 それには理由があって、チープ・トリックが1978年に発売したライブ・アルバム『Cheap Trick at Budokan』が大ヒットとなり、彼らは武道館ライブによって、まさに世界中でブレークしたからです。

チープ・トリックのライブアルバム「Live at Budokan」(画像:Sbme Special Mkts.)



 そうして、国内外のさらに多くのアーティストが武道館でライブをやりたいと、次第に考えるようになりました。

多くの伝説のライブが高めた武道館の価値

 日本武道館はもともと武道場として建てられたため、音響面はいまひとつ。それでも、ほぼ円形で360度グルリと囲む客席は思いのほかステージに近く、また臨場感にあふれ、この会場ならではの雰囲気にほれ込むアーティストは少なくありません。

 その代表格が、1977(昭和52)年に初登場してから歴代最多となる140回以上の公演を行ってきた矢沢永吉です。彼が行う熱狂的なライブが「武道館神話」を高めてきたと言っても過言ではありません。

 女性で最多公演記録を持つのは松田聖子で110回以上。海外のアーティストではエリック・クラプトンで、日本びいきの彼は96回もステージに立っています。

田安門と日本武道館(画像:写真AC)



 90年代以降はライブの集客数が全体的に上がり、メジャー・デビュー前のバンドでも公演を行えるようになり、日本武道館の特別感は以前ほどは感じられなくなりました。

 それでも、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイの初来日ライブや、山口百恵、YMOの引退・解散ライブ、ZARDのラスト・ライブなどなど、数々の伝説を生み出してきたステージの人気は今も変わりません。

 立地と建物の特殊さが演出する特別感の強い会場であり、だからこそ、国内外の大物アーティストたちによる名演の記憶が生まれたのです。それらが興奮とともに語り継がれていく限り、人々の「日本武道館 = ライブの聖地」という認識が揺らぐことはありません。

 アーティストもファンも、「いつかは武道館」という思いをこれからも抱き続けることでしょう。

関連記事