沢田研二の名曲「TOKIO」が口火を切った、80年代という「遊び」に満ちた時代感覚
2020年1月5日
ライフ1980年代という沢田研二「TOKIO」が口火を切った時代について、社会学者で著述家の太田省一さんが振り返ります。
話題を呼んだ、大胆なファッションとパフォーマンス
1980年代と言うと、もう遠い話のような気がします。そこでこの機会に、1980年前後の時代の様子をちょっと振り返ってみたいと思います。
1980(昭和55)年の元日。つまり1980年代がスタートしたその日に発売されたのが、ジュリーこと沢田研二の「TOKIO」でした。

時代を味方につけたアーティスト、いわばノッているアーティストはいつの時代にもいます。どんなに奇抜、革新的なことをやっても歓呼の声で受け入れられる――当時のジュリーは、そんな無敵の存在でした。
1960年代のグループサウンズ、ザ・タイガース時代からずっと第一線を歩んでいたジュリーですが、無敵という感じが強まったのはソロ歌手になってしばらくたった1970年代後半くらいからだったように思います。
主に阿久悠が作詞を担当して「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「サムライ」「LOVE(抱きしめたい)」「カサブランカ・ダンディ」など印象的なヒット曲を連発し、その間に日本レコード大賞を獲得し、「NHK紅白歌合戦」ではトリも務めました。
それに加えてジュリーが抜きんでていたのが、ビジュアル面での演出でした。男性歌手としては当時常識破りだったメイク、キャミソールやシースルーなどそのあでやかともいえる美貌を生かした大胆なファッションはもちろんのこと、歌の最中に帽子を飛ばしたり(「勝手にしやがれ」)、小瓶のウイスキーを口に含んで噴き出したり(「カサブランカ・ダンディ」)といった演出がたびたび話題を呼びました。
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