誰もが歌って踊った? 情熱的すぎる30年前のヒット曲「ランバダ」の音色をもう一度
2021年3月16日
ライフ80年代後半から90年にかけて一世を風靡したダンスミュージック「ランバダ」。その歴史について、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。
1990年上陸で一世を風靡
1都3県(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県)の緊急事態宣言の解除は3月21日(日)に期限を迎えますが、東京都の小池百合子知事は感染者数増加を受け、解除への言及を行っていません。そのようなわけで、東京に住む人たちにとって「おうち時間」の過ごし方は引き続き重大な課題になりそうです。
筆者の趣味はお菓子作りなので、ようかんを自作するなど楽しい「おうち時間」を過ごしていますが、いかんせん気になるのが体重の増加です。ものぐさな性格もあってか、ストレッチ運動も長続きしません。
そんなときには、もうテキトーに踊るしかありません。自宅であれば他人の目も気にならないので、たまった脂肪を少しでも落とすべく頑張っています。
踊るときのBGMはひと昔前のアイドル歌謡や洋楽といった、明るくわかりやすい音楽に限ります。ということで、先日久しぶりに聞いたのが「ランバダ」。そう、1990(平成2)年に日本に上陸し、「愛と官能のダンス」という触れ込みで盛り上がったダンスミュージックです。皆さん、覚えているでしょうか?
原曲はボリビアのフォルクローレ
そんなランバダを「ブラジルの曲」と勘違いしている人は、意外にも少なくありません。当時のミュージックビデオはどこからどう見てもブラジルっぽい雰囲気でしたが、実際にはフランスを発信源として大ヒットした曲なのです。
ランバダの原曲は、ボリビアを代表するフォルクローレグループのロス・カルカスの『Llorando se fue(泣きながら)』です。もともとは南米のフォルクローレそのままの哀愁漂う曲調でしたが、フランスで活躍していた多国籍グループ「KAOMA(カオマ)」がアップテンポにアレンジしました。

カオマはセネガル出身の音楽グループ「トゥレ・クンダ」のメンバーにフランス人やブラジル人らを加えた多国籍グループ。なおトゥレ・クンダは1985(昭和60)年に行われたサザンオールスターズのツアーに登場したことでも知られています。
グループをプロデュースしたのは、フランス人のジャン・カラコスとオリバー・ローサック。ふたりはカオマに歌わせる曲として、ブラジルの音楽出版社から約400曲の権利を買い取っていました。これらの曲のなかから生まれたのがランバダだったわけです。
ただ、ここでひとつ問題がありました。
確かに権利を買っていたものの、原曲を歌ったロス・カルカスとの契約がなく、加えて無断で編曲していたため、トラブルも発生。当時は今と比べて著作権制度が曖昧でしたが、それを差し引いても強引な手法だったのです。
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