銀座の一等地にあった異空間 戦後の香り漂う「三原橋地下街」を覚えていますか
2021年1月29日
知る!TOKYO2014年まで、銀座の一等地に昭和の香りを残す地下街がありました。その歴史について、フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。
太鼓状の道路下にあった地下街
日本有数の繁華街である銀座は、インバウンド(訪日外国人)の街として近年変化を遂げてきました。そんな銀座の街のなかでも、風景がもっとも変わったのは、銀座4丁目の交差点から晴海通りを築地方面へ少し歩いた三原橋の辺りでしょう。
かつては道路が太鼓状に膨らみ、その下には地下街があり、晴海通りの間を通り抜けることもできました。
しかしその地下街がなくなり道路も平らになったことで、地下街は私たちの記憶のなかだけの存在になっています。すぐそばに銀座の一等地があるにもかかわらず、この地下街は少しうらぶれた雰囲気のある独特なスポットでした。
地下街の完成は約70年前
三原橋地下街が生まれたのは、1952(昭和27)年です。それまで三十間堀川(さんじっけんほりかわ)という川が流れており、三原橋という橋が架かっていました。

戦後、銀座にはがれきが長らく放置されており、連合国軍総司令部(GHQ)からその処理を急ぐように命令された東京は、すぐそばの三十間堀川に捨てることに決定しました。
こうして1948年から始まったがれきの投棄で、三十間堀川は消滅。現在、銀座1丁目の水谷橋公園の区画や、地下鉄銀座駅10番出口の隣にある銀座ファーストビルの細長い区画が川の名残となっています。
一等地だったこともあり、埋め立ての最中から、入札はいつか、いくらくらいで売られるのかなどと話題になっていました。しかし厳しい経済状況で高額な土地は容易に買い手が付かず、入札を始めても3分の1は売れ残り、また売れた土地も放置された状態となっていました。
とはいえ戦後の混乱期だったこともあり、次第に建物を作って商売を始める人たちが集まります。その結果、日本最初のサウナである東京温泉ができるなど、徐々に開発が進んでいきます。そうしたなか、1952年に都有地を使ってできたのが三原橋地下街でした。

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