都市化で消滅した田畑と雑木林――生誕110周年・松本清張が描いた追憶の武蔵野台地
2019年11月4日
知る!TOKYO2019年に生誕110周年を迎えた小説家・松本清張。同氏の作品は映像化され、今でもファンを魅了し続けています。そんな清張作品に込められた東京の情景について、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。
清張はなぜ武蔵野を描いたのか
2019年は小説家・松本清張の生誕110周年。清張の小説は依然としてテレビドラマ化されています。『砂の器』がフジテレビで、『疑惑』がテレビ朝日で、また2007(平成19)年に放送された『点と線』、2012年に放送された『十万分の一の偶然』もテレビ朝日で再放送、TBSCSでも6か月に渡って、作品が放送されています。時代も相当違う小説なのに何故いまだに映像化されているのでしょうか。

清張の小説の舞台は国内外、多岐にわたっていますが、東京を舞台にしたものは少なくありません。先述した『砂の器』は蒲田操車場、『点と線』は東京駅が重要な場面になりましたが、ほかには武蔵野周辺を舞台にした作品が多いことも驚きです。
『小説に読む考古学―松本清張文学と中近東―』(中近東文化センター。2005年)によれば、「武蔵野」に関わる説明は33作品に見出されるそうです。そしてその約7割、24作品が昭和30年代、また約2割、7作品が昭和40年代に著されたものであったといいます。
もともと清張は福岡の小倉で前半生を送っているため、その周辺が舞台になっている作品が多く、年譜によれば芥川賞を受賞した1953(昭和28)年に朝日新聞東京本社に転勤し、単身赴任となっています。
まず杉並区荻窪の叔母の家に寄宿。翌年、練馬区関町に転居し家族が上京します。そして、1957(昭和32)年に練馬区上石神井に転居後、1961年に杉並区高井戸にさらに転居。この地が終の棲家になりました。すなわち東京西郊の武蔵野に居を構え、作家としての文筆活動を本格化したともいえます。

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