やたら「推し」と言いたがる、今どき若者の巧みな心理戦略 「彼氏以外の気になる人も『推し』」
もとは芸能人やキャラに使う言葉だった「推し」という言葉をご存じでしょうか。 SNS上でも「推しイベ(ント)のために東京行きたい」「渋谷歩いてたら推しの看板見つけた!」「東京駅に推しの限定ショップあった」といった書き込みがいくつも目に留まります。 ごく簡単に言ってしまえば、「推し」とはいわゆる「お気に入り」に近い意味合いを持つ言葉。応援したいアイドルや芸能人、キャラクターなどに対して用いられる若者言葉で、最近耳にする機会が増えたという人も多いのではないのでしょうか。 バイト先や大学サークルの仲間にも この「推し」という言葉が、近年形を変えて広がり始めています。 というのも、先述のように、もとはアイドルや芸能人の中の「自分のお気に入り」「応援したい人」を指していたこの言葉が、近頃では日常で接する身近な人に対して使われることも増えてきたのです。 具体的に言えば、バイト先や大学のサークルなどを共にする身近な人の中から「お気に入り」を見つけて「推し」と呼ぶ、といった例が挙げられます。 ではこの身近な「推し」に向ける感情は、身近な「好きな人」に向けるものとはどう異なるのでしょうか。 「好きな人」との違いは、相手との距離感「好きな人」との違いは、相手との距離感 大きく違う点として、対象との「距離感」が挙げられます。 「好きな人」という言葉には、多くの場合「対象と何らかの関係を結びたい」という感情が含まれています。つまり、その好意には対象と自分の間に近しい距離の関係性が想定されています。 対して「推し」という言葉を用いる際は、「恋人になりたい」など近しい距離の関係性に言及されることは少なく、「好きな人」に比べると多少距離のある、ある種“割り切った”印象を抱かせることが多いです。 この違いは、「推し」がもともとアイドルなど一定の「距離感」のある存在に対して用いられていた言葉であるために生まれるものだと考えられます。 身近な人に好意を向ける際に「推し」という言葉をクッションとして挟むと、その好意にアイドルに向けるものと似た距離感を持たせられるということです。 つまり「推し」とは相手に対して、身近にいながらも、アイドルを応援するときのような一線引いた好意を持っていることを意味する言葉なのです。 「推し」と「好きな人」との距離感の違い(画像:イララモモイさん制作) では、なぜそのような距離感を持つ言葉が広く使われるようになったのでしょうか。その理由はこの「推し」という言葉の利便性の高さにあると考えられます。 その利便性の方向は身近な「推し」の形によって異なっています。というのも「身近な推し」には大きく2種類あり、「恋愛感情のない推し」と「恋愛感情のある推し」に分けられると筆者は考えます。 恋愛感情を包み隠す絶妙な表現恋愛感情を包み隠す絶妙な表現 まず「恋愛感情のない推し」とは、その名の通り本当に恋愛感情抜きの、「純粋なお気に入り、応援したい人」を指します。この場合、もはや「推し」である相手と「推し」以上の関係性を築くことに嫌悪感が芽生えることすらあるようです。 「推し」はあくまで「推し」であり、自らの生活に必要以上に介入させるつもりも、するつもりもない。それ以上に踏み入ると「純粋なお気に入り」という関係性を壊しかねないため、一線引いている状態だとも言えるかもしれません。 このような「恋愛感情のない推し」に対する感情を適切に言い表す言葉はこれまでに少なく、その適当さから「推し」という言葉が一般化されてきたと考えられます。 身近な人、主に異性をほめそやせば、周囲から「その人に恋愛感情を持っているのか?」と誤解されかねないでしょう。このとき、「推し」という言葉を使えばある程度の距離感を持たせることができるので、リスクを軽減することができます。 一方で、「恋愛感情のある推し」は、本当は恋愛感情を持っているが何らかの不都合な事情によってその感情を隠す必要がある場合に用いられます。 この「推し」は、相手が恋愛感情に気付いていないケースも含まれます。この「本人が恋愛感情に気づいていないケース」では、一種の防衛機制として「推し」が用いられていることが多いように感じます。 いわゆる「手の届かない人」に恋をした場合、報われないことが予想される恋に挑むのはリスクが高く、また挑まなかったとしてもその恋心に気付くことそのものが自身にとって負担になるため、はじめから「恋ではない」と思い込み傷つくことを避けようとするものです。 周囲をけん制し、相手を“キープ”周囲をけん制し、相手を“キープ” ほかに「恋愛感情のある推し」の例を挙げると、「純粋に『好きな人』と言うことが照れくさい場合」や、「彼氏がいるけど気になる人が出来てしまった場合」、「好きな相手に恋人がいる場合」などが挙げられます。 特に後者ふたつは、純粋に対象を「好きな人」と称すると体裁が悪いパターンだと言えます。 この場合の「推し」は時に極めて戦略的で、本来ならば許されないはずの恋愛感情を「推し」という言葉でコーティングし、罪悪感抜きににおわせつつ周囲をけん制することによって、気になる対象を“キープ”する際に用いられることもあるようです。 戦略的に「推し」という言葉を使う場面の一例(画像:イララモモイさん制作) 以上のような防衛機能や戦略的な性質を持つという意味で、「恋愛感情のある推し」もまた利便性が高いと言えるでしょう。 この「推し」という、対象との間に適度な距離感を持たせられる言葉は、以上の通り利便性の高さと同時に恋愛感情と絡めて戦略的に用いられるシーンも増えたことから、あいまいさもまた極めているようにも感じます。 いまや「推し」という言葉はさらに広がりを見せ、ここには記述されていないさらなる多くのパターンを秘めていると考えられます。 ※ ※ ※ 人と人とが暮らす社会には「好き」「嫌い」といった単純な2分割では割り切れない多くのあいまいな関係性が存在しています。 それは現代に限ったことではないのでしょうが、そうした名前の付けられない関係性を巧みに表現し、さらには自分の戦略までをも機能させる「推し」という言葉は、SNSの普及により自らの感情や行動などあらゆる情報を用心深く共有することが求められている若者にとって、必要不可欠なものなのかもしれません。
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