年間10億円を稼ぎ出す、八丈島ナゾの葉っぱ「ロべ」とは何か?

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年間10億円を稼ぎ出す、八丈島ナゾの葉っぱ「ロべ」とは何か?

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斎藤潤

紀行作家

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八丈島で100年間栽培されている「ロベ」という愛称の植物をご存じでしょうか? 年間の売上額はなんと約10億円にも上るという稼ぎ頭。その正体と島での歴について、紀行作家の斎藤潤さんが解説します。

八丈島ではそこここで見かける植物

 八丈島を訪れると、あちらでもこちらでもよく見かける、小ぶりで涼やかな葉のヤシがあります。

 道端にさりげなく生えていることもあれば、民家の庭先で群れていたり、大きな畑になっていることも珍しくありません。

 島ではあまりにもありふれた存在なので、旅行者は気づかずに終わってしまうこともあるくらいです。

 島人たちは、親しみを込めてこれを「ロベ」と呼びます。ヤシ科の植物で、正式にはフェニックス・ロベレニーといい、標準和名はシンノウヤシ。

 風が一陣通り過ぎると、羽状になった葉の上で光がキラキラとさざめきます。ソテツのようにバリッと頑丈そうではなく、この爽やかな風情が好まれるのでしょう。

 それでいて、キッパリとした深緑の艶やかな葉は、華麗な花々の引き立て役として欠かせません。花束の添え葉としてなくてはならない、花屋さんにあっては名脇役なのです。

 ところで、この葉っぱはどれくらい稼いでいるのでしょうか。

 ロベだけで、なんと年間10億円。人口8000人足らずの八丈島へロベがもたらす金額は、あくまで単純計算ですが4人家族なら一家に50万円ということになります。

 全国のシェアは、八丈島がほぼ100%といって過言ではありません。年間出荷本数は約5000万枚に及びます。

花束の名脇役、八丈島産は高品質

 原産地はラオス周辺の東南アジアですが、南国では成長し過ぎてしまうため、美しいものはできません。ロベが育つギリギリの環境が八丈島なので、締まりのある世界一品質の高いものができると、島人は胸を張ります。

 以前、鹿児島県の種子島がロべの栽培に挑戦したそうですが、長くは続きませんでした。

 八丈島の農協の人が、こんな憶測を話してくれました。

「競合産地になりそうだと注視していたんですが、思ったほど出荷してこない。種子島は粗放(そほう)的なサトウキビの産地なので、気質的に根を詰める作業が苦手なのかもしれない」――

採取にひと手間、お小遣い稼ぎも

 種をまいてから7、8年で葉が採れるようになり、30年間ほど採り続けることができます。出荷するのは農家だけではありません。庭先などにロベを20本、30本と植えて、小遣い稼ぎをしているお年寄りも多いそうです。

八丈島で見ることができる「ロベ」畑(画像:斎藤潤)



 虫除けの消毒は必要ですが、あとは放っておくだけ。とはいうものの、採取のときは葉のつけ根に何本もある縫い針ほどの鋭いトゲをそぎ落とし、汚れた部分を取り除き、葉先が傷んでいれば、先切りしてやらないといけません。

 さらに、2日ほど水揚げをし、50枚ひと束にして出荷するので、意外に手間がかかるのです。

 八丈島にロベが入ってきたのは、1921(大正10)年のこと。

100年の歴史を誇る八丈島「ロベ史」

「横浜植木会社」の鈴木社長が、タイから雌木と雄木の2対を持ち帰り、雌雄1対を小笠原に、もう1対を八丈島中之郷村の村長・山下清吉の庭に植えたのがはじまりでした。しかし、ロベがすぐに商品として定着したわけではありません。

 1928(昭和3)年頃、中之郷の山下甲太郎が商品としての将来性に着目して、ロベの苗300本を小笠原から取り寄せて栽培を開始。小笠原産のものに比べ、八丈産は品質が格段に優れていることが分かります。

 5年後に幹丈1mに育ったロベは、米1俵(60kg)と同じ値段の1本3円で取引され、その後ロベ栽培をする人が増えていきました。

 紀元2600年(昭和15年)を記念して、先進地の中之郷では、各家庭にロベの苗を10本ずつ配布して栽培を奨励。これが戦後隆盛の礎となりました。

戦後に本格スタートした大量出荷

 1947(昭和22)年になると、貸鉢業者が「戦争ですさんだ人心を癒す」とロベを買つけに来島。翌年から、大量出荷がはじまりました。

 また、この頃からロベの添え葉も出荷するようになります。

 1952年には、末吉村の婦人会が将来の会費充当のため各会員にロベの苗を10本ずつ配布。その後のロベ隆盛の基礎を作りました。

 1949(昭和24)年以降ロベは高騰を続け、日当が300円前後だった当時、1か月分の日当に相当する1本1万円の値をつけたこともありました。花卉(かき)園芸の中心地中之郷の郵便局は、集配局として日本一の小包取扱量を記録。小包を入れる郵袋が不足したほどでした。

根強い人気、変わらず年間10億円

 その後、多くの浮き沈みを経験し、添え葉中心となったり、鉢物は貸鉢から一般家庭用インテリアへ比重が移ったりしましたが、今もロベの重要性は揺らいでいません。だからこそ、今でも年間10億円なのです。

 八丈島に計り知れない恩恵を与えたロベの原木1対が中之郷に残っていると聞いて見に行くと、年間10億円を稼ぎだす子孫たちとは無縁のような飄々(ひょうひょう)とした風貌で、「ロベ感謝の碑」の脇にたたずんでいました。

「ロベ感謝の碑」と取り囲むロベ(画像:斎藤潤)



 花屋さんの店先で、ロベを見かけることがあったら、八丈島を思い出してください。

 もし、八丈島を訪れることがあれば、南国で生き生きと輝いているロベを探してみてください。きっとロベのファンになることでしょう。

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