今となると逆に不思議……なぜ池袋は「ダサい」のレッテルを貼られ続けてきたのか

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今となると逆に不思議……なぜ池袋は「ダサい」のレッテルを貼られ続けてきたのか

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猫柳蓮

フリーライター

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長年“ダサい街”扱いされ続けてきた池袋。その街が一念発起し、都内屈指の繁華街へと復権を遂げるまで、どのような奮闘があったのでしょうか。フリーライターの猫柳蓮さんが振り返ります。

駅の構造に“ダサい”の遠因が

 バブル前夜の1980年代、池袋は格段に“ダサイ街”扱いされていました。

 もちろん真実の池袋は、今も昔もディープかつ、気取らずに過ごせる楽しい繁華街です。

 でも、80年代はどこか軽薄でネアカな時代。今でいえば「ウェイ系のリア充」みたいなのが正義だった東京で、雑然として独特の空気感を放っている池袋は“負けて”いました。

 新宿・渋谷・池袋と並び称されはするけども、イメージではとてもかなわいません。

 新宿は都庁の移転で一気に東京の中心的な街として発展しようとしていました。渋谷は青山・原宿とも一体化した若者の街として、常に注目の的。

 それに対して池袋の特徴はといえば、大抵の人が「ダサイ」という風潮。それをどうにかしないといけないというのが、池袋の人々の共通した思いでした。

新宿・渋谷・池袋を並び称される池袋。しかしかつては「ダサいダサい」と言われ雌伏のときを過ごしていた(画像:写真AC)



 池袋には街が発展する上での問題点がありました。それは、街が西と東とで大きく分断されていることです。

 東口に西武百貨店と三越とサンシャインシティ。西口に東武と丸井があります。それぞれに巨大な集客施設があるので、街の回遊性は極めて低いものでした。

 あまりに駅直結のデパートが充実しているものですから、客が駅から出ずに買い物して帰ってしまうのです。人が街をぐるぐると歩いたりしないため、当然、街全体が発展性に乏しくなります。

 そんな池袋の大改造が本格化したのは、バブル景気の真っ最中でした。

「芸術の街」に名誉挽回を賭け

 まず、ダサいというイメージを払底(ふってい)するために登場したのが西口の芸術文化会館の建設です。これは、東京都が長年計画していた本格的なクラッシックに対応した劇場です。芸術の本流といえる施設がやってくるということで、西口の再開発ががぜん熱を帯びます。

 1990(平成2)年秋の芸術会館のオープン後をにらんで、劇場を中心とした街づくりが本格化します。

 目玉はJRと東武による新たなビルの建設です。現在、メトロポリタンホテルとメトロポリタンプラザのあるところには、元は芝浦工業大学高等学校がありました(さらに、その前は東京鉄道教習所でした。現在も記念碑があります)。

 この駅ビルと芸術会館の複合的な再開発で、街に回遊性を持たせることが目指されたわけです。

西池袋に建つホテルメトロポリタン(画像:(C)Google)



 もちろん、それだけでは回遊性に疑問が残ります。そこで立ち上がったのが「池袋ルネッサンス構想」です。

 1980年代から90年代にかけて再開発や産業振興の分野ではやたらと「ルネッサンス」が流行語になっていました。だいたいは、沈滞している都市がかつての栄光を取り戻そうという目的で立ち上げるものでした(代表例は北九州市です)。

 では、池袋における過去の栄光が何かといえば「戦前は、どこよりも文化的であった」ということです。

 大正時代から終戦の頃まで、池袋には多くの芸術家が集まるアトリエ村文化が栄える、「池袋モンパルナス」といわれる時代がありました。それを復活させようというのが、この構想でした。

94年、ようやく若者向け店舗が

 もっとも、バブル景気の真っ最中に立てられた計画なので、かなりアクロバットな内容です。

 プラットホームを覆うベデストリアンデッキを造って東西の分断を解消。そのまま、サンシャインシティどころか大塚駅あたりまでを一体で再開発するという構想です。

 バブルに浮かれたこの構想は、残念ながら実現しませんでした。ようやく池袋がダサさの克服に至ったのは1994(平成6)年頃からです。

 同年は池袋にとって大きな歴史的転換点となった年です。池袋PARCOの別館として池袋P’PARCOがオープン。丸井はインザルーム池袋をオープン。そして、大型CDショップのヴァージンメガストアもやってきます。

若者を呼び込むショッピング施設がいろいろとオープンした池袋(画像:(C)Google)



 それまで、渋谷が若者向け、新宿がビジネス都市なら池袋はファミリー向け都市を狙うというような戦略が目立っていましたが、ここから大きく転換します。

 これら若者向けの店が誕生したことで、これまで東武線、西武線で都内へやってきていた若者たちが、そのまま渋谷へと流れていくことを押し止めるようになったのです。

 それまでダサいイメージを持たれていて、若者が近寄りがたかった池袋。そこに若者が滞留するようになったおかげで、周辺にも加速度的に若者向けの店が増えていきます。サンシャイン通りが大きく変化し始めたのも、この頃からのことでした。

ミックスカルチャーの発信地に

 こうして、池袋はようやく新宿、渋谷と台頭に戦える繁華街となったのです。

 そして現在ですが、もはや池袋は勝っているといえるのではないでしょうか。

池袋サンシャインシティにある水族館は人気のデートスポット(画像:写真AC)



 昭和を思わせるような猥雑(わいざつ)な雰囲気もあるかと思えば、ニューウェーブなチャイナタウンにオタク街と最先端のトレンドも詰め込んでいます。

 なんとも独特の鋭い感性が働く都市。ダサいと笑われる下積み時代があったからこその、成功といえるでしょう。

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