上野のパンダの名前、繰り返すとはかぎらない? 名前を通してみる歴代パンダの歩み

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上野のパンダの名前、繰り返すとはかぎらない? 名前を通してみる歴代パンダの歩み

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上野動物園の歴代パンダたちはみな、同じ音を2回繰り返す名前で呼ばれています。ですが、これは絶対的なルールではないといいます。そんな、名前にまつわる話を交えながら、一頭一頭、唯一無二の個性を持つ歴代パンダたちを振り返ります。

「美しいひざカックン」から独り立ちまで。シャンシャンの2018年

 不思議で愛らしい動物、パンダが上野動物園に初めてやってきてから、46年の歳月が流れました。2019年1月現在、上野では、13歳の「リーリー(父)」と「シンシン(母)」、そして1歳の「シャンシャン(娘)」、3頭のパンダが暮らしています。

 日々すくすくと成長するシャンシャンは大人気。観覧の列は絶えず、「木に登った」「初めて雪に触れた」「りんごを食べ始めた」など、生活に変化が起こるたび、その情報は、テレビや新聞、ネットニュースなどで全国に発信されます。

寝転がりながら笹の葉をかじるシャンシャン(香香)。漢字で書く際の「香」は「花開く明るいイメージ」とのこと(画像提供:公益財団法人東京動物園協会)



 2018年12月には、長らく一緒に過ごしていた母シンシンと離れ、単独で暮らし始めたシャンシャン。体重は約40キロに。すっかり大きくなり、寝転がりながら竹や笹を食べる姿にも、少しずつ成獣の風格が漂い始めています。

 ですがほんの1年前、2017年12月19日(火)の一般公開スタート時には、まだ小さく、柔らかいピンクの毛色をしていました。

 このピンク色は、母パンダが子の世話をする際に付着した唾液によるといわれており、シンシンがシャンシャンの世話を熱心に行なっていた様子がうかがえるものです。

ピンク色だったころのシャンシャン。成長とともに白くなっていった(画像提供:公益財団法人東京動物園協会)

 竹や笹をバリバリと食べるシンシンの横にちょこんと座り、母の真似事をするかのように、竹や笹をほおばるシャンシャン――。

 独り立ち前、上野動物園では、そんな姿が見られました。食欲旺盛なシンシンは、時にシャンシャンが握っている竹や笹をひょいと持ち上げ、むしゃむしゃと食べ始めることもありました。

 シャンシャンも負けていません。シンシンが持つ竹や笹を食べようと挑んだり、あるときには、シンシンの後ろ足に元気よく頭から突進。不意をつかれたシンシンが、一瞬ずるっと地面に沈みかけたことも。その様子は「パンダ史上最も美しいひざカックン」として上野動物園の公式ツイッターで紹介され、大きな話題となりました。

 人間から見ると、仲睦まじい様子に見えた2頭。ですが、ジャイアントパンダはもともと、単独で生活する生き物です。子が1歳半から2歳になるころには、親が子を自分の縄張りの外へ追いやり、子の独り立ちを促します。

 親の子離れは突然訪れるため、その瞬間は誰にも予想ができないといいます。また、その際に親が子へ、危害を加える可能性も否めません。上野動物園では、万が一のことが起きて、シャンシャンが怪我などをせぬようにと、安全を配慮。慎重をきわめた独り立ちの準備を行いました。

シンシンは「サクラ」や「ミライ」になるかもしれなかった?

 シャンシャンの名前は、歴代最高となる32万2581件もの応募から、歴代のパンダと同様、同じ音を2回繰り返すものに決まりました。

 ですが「同じ音を2回繰り返す」は、絶対的なルールではないといいます。事実、候補のなかには「シンリー」「リーシン」という、両親の名前を組み合わせた、繰り返していない名前もあったのです。(「UENO-PANDA.JP」内「ジャイアントパンダの赤ちゃんの名前は『シャンシャン』(香香)に決定!」より)

 さらに、リーリーとシンシンの名前を公募で決める際には、日本人のような名前も候補に挙がりました。応募総数は4万438件。一次選考に残ったのは以下の名前です。

オス:リーリー(359件)、ヨウヨウ(226件)、ゲンキ(216件)、ソラ(128件)
メス:サクラ(817件)、シャンシャン(270件)、シンシン(127件)、ミライ(66件)

※カッコ内の数字は応募数

(「UENO-PANDA.JP」内「ジャイアントパンダの公開日と名前が決まりました!」より)

 選考理由等の詳細は非公開とのことですが、「ゲンキ」「ソラ」「サクラ」「ミライ」という名前が名付けられる可能性があったことがうかがえます。

 また、正式に決まった「シンシン」の127件の約2倍である270件の応募が、のちに娘に名付けられる「シャンシャン」に寄せられていたことも見てとれます。

食いしん坊といわれるシンシン(画像提供:公益財団法人東京動物園協会)



「パンダの名前を繰り返すのは、中国語で『愛称』的な意味があり、中国でも、飼育初期のパンダの名前はほとんどこうした形式でした。ですが近年、とてもそれでは命名しきれず、違った字の組み合わせも多くなってきています」(上野動物園)

「違った字の組み合わせ」の例としては、リーリーやシンシンの中国名も挙げられます。産まれたとき、リーリーは「比力(ビーリー)」、シンシンは「仙女(シィエンニュ)」と名付けられました。2頭の国際血統登録に記載されているのは、この中国名です。日本での名は、大まかにいうと「愛称」のようなものなのです。

シャンシャンの両親、リーリーとシンシンは幼なじみ

 リーリーとシンシンが、上野動物園にやってきたのは2011年2月21日の深夜でした。初めての環境に警戒を見せたリーリーと、到着してまもなく、もりもり竹を食べ始め、すやすやと眠りについたシンシンの様子は対照的で、マスコミにも大きく取り上げられました。

シャンシャンの父、リーリー。木登りが得意。小さい頃はおっとりした甘えん坊だったという(画像提供:公益財団法人東京動物園協会)

 ですがその約2週間後、東日本大震災が発生してしまい、3月22日に予定されていた公開は延期に。奇しくも2頭は、2008年に起こった四川大地震にも見舞われており、つまり、大きな震災を2度も経験することとなりました。

 2頭は、同じ研究施設で生まれ、共に育った、人間でいうところの”幼なじみ”でもあります。中国の研究施設で産まれたパンダたちは、生後数か月で親元を離れ、「パンダ幼稚園」という、子パンダだけで過ごす場所に入園します。2頭は、14頭の同級生とともに、幼稚園での時間を過ごしました。

 中国飼育研究員による手記『リーリーとシンシン』(二見書房)には、2頭は「幼い頃から仲良く遊んでいた」と記されており、幼少期の2頭がじゃれあう姿や、同じブランコの端と端に乗っている写真なども掲載されています。

世界でいちばん飛行機に乗ったかもしれないパンダと、中国里帰り1号

 リーリーシンシンという呼び名がすっかり馴染んだ2頭ですが、実は、かつて上野動物園にいたパンダたちのなかには、中国名のまま呼ばれていたパンダもいました。

 まず、「フェイフェイ」(1982年11月9日来園)と「ホァンホァン」(1980年1月29日来園)。のちに彼らは、日本で初めて繁殖に成功し、順調に成長したパンダ「トントン」とその弟「ユウユウ」の両親になるパンダです。

 人工授精によって、1986年6月1日に誕生したトントンは、上野動物園で生涯を過ごした唯一のパンダでもあります。メスですが、パートナーを探すころになるまでは、オスであるという判断のもと、育てられていました。逆に、1988年6月23日に誕生したユウユウはメスとして育てられ、途中でオスだと判明しています。

 2頭の名前は、公募で決まりましたが、もし名付ける前に性別を見分けていた場合、別の名前がついた可能性があるのかもしれません。なお、かつて中国でも、性別を逆に認識していた事象はあるといいます。パンダの性別を見分けることは難しいのです。

 メスだと判明したトントンのもとには、1992年11月5日、北京動物園からお婿さんがやってきました。「リンリン」です。また、ユウユウは、中日国交正常化20周年を記念し、リンリンと交換で北京動物園に渡りました。日本生まれのパンダが、中国へ里帰りをしたのは、ユウユウが初めてです。

北京動物園のパンダエリア(2010年、高橋亜矢子撮影)



 一方、ワシントン条約で、絶滅危惧種の国際間譲渡が禁止されていることにより、リンリンは、日本が直接所有権を持つ最後のパンダとなりました。

 飼育を担当した倉持 浩さんの著書『パンダもの知り大図鑑』(誠文堂新光社)によると、おっとりした、優しい面持ちのパンダだったというリンリン。繁殖のため、メキシコへ3回も渡航し、おそらく世界でいちばん長時間、飛行機に乗ったパンダではないかといわれています。

 リンリンのパートナーとして、メキシコから「シュアンシュアン」が訪れたこともありました(2003年12月3日〜2005年9月26日滞在)。シュアンシュアンは陽気で豪快なパンダ。到着した夜からりんごをバクバクと食べ、放飼場に出た初日には竹を次々になぎたおしたといいます。(「UENO-PANDA.JP」内「歴代のパンダたち」「残念、シュアンシュアン&リンリン──上野 7/9」より)

 なお、リンリンもシュアンシュアンも、日本名は付けられていません。ではなぜ、リーリーとシンシンには、日本名がつけられたのでしょうか。それには、上野に3年ほどあった「パンダ不在の時期」が関わっているようです。

「リーリーシンシンは、上野待望のパンダ」

 リンリン亡きあとの上野動物園のパンダの歴史には、空白の3年がありました。

 上野観光連盟によると「パンダがいなくなってからというもの、来訪者数が約15%落ちたという商店街もありました」とのことですが、問題は、それだけではありませんでした。

「パンダがいるものだと思って、遠方から上野に訪れた方たちのなかには、会いたかったパンダに会えず、泣いている子どももいました。

 上野動物園の良いところは、園で子どものころに体験した喜びを、自分の子どもにも体験してほしいと願い、再び園を訪れる——というような無限の連鎖が続くことにあると考えています。上野動物園に対する記憶が、悲しさとともに刻まれてしまっては、上野にとっても、子どもにとっても良くありません。」(上野観光連盟)

 上野観光連盟は、子どもたちに寄せ書きを募ったほか、「ジャイアントパンダ保護サポート基金」をつくるよう働きかけるなど、積極的に動きました。

 そのかいあって、リーリーとシンシンが、研究のための借受で上野へやってくることが決定。念願のパンダに対し、「親しみやすい名前を」と、公募が行われることになったといいます。

上野に来園当時は5歳だったシンシン。現在では13歳に(画像提供:公益財団法人東京動物園協会)



「親しみやすい名前を」という願いは、以前にもありました。1972年、日中国交正常化を記念し、日本初のパンダ「カンカン」と「ランラン」がやってきたときです。中国では、カンカンは「シンシン」、ランランは「アーシン」と呼ばれていましたが、中国の関係者が、日本人への親しみやすさやかわいらしさを考慮し、名付けたのだといいます。

屋外を歩くシャンシャン(画像提供:公益財団法人東京動物園協会)

 黒と白の愛らしい動物が日本へやってきてから、まもなく半世紀を迎えます。今後、上野で生まれるパンダの名前はどうなっていくのでしょうか。どんな名前がつくとしても、健やかに、パンダらしく、マイペースに、すくすくと成長していくことを願ってやみません。

●東京都恩賜上野動物園
・住所:東京都台東区上野公園9-83 (上野公園内)
・交通アクセス(パンダ舎が近い表門まで):JR上野駅「公園口」から徒歩5分、東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」7番出口から徒歩12分
・入園料:一般600円、65歳以上300円、中学生200円(都内在住・在学の中学生は無料)、小学6年生以下は無料
・休園日:月曜日(月曜日が祝日や振替休日、都民の日の場合はその翌日)、12月29日~翌年1月1日

※パンダ舎の観覧は9:30~17:00 観覧列の締め切りは16:00ですが、当日の混雑状況により、16:00よりも前に締め切る場合もあります。
※1日に数回、パンダの観覧列の待ち時間の目安を、上野動物園の公式ツイッター(@UenoZooGardens)がお知らせしています。

※掲載情報は2019年1月時点での情報です。

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