高度経済成長を支えた都内のレトロ団地が「登録文化財」になったワケ
2020年1月8日
知る!TOKYO第二次世界大戦後、復興を住宅面から支えた団地について、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。
戦後復興を支えた団地
2020年は東京が世界各国から注目を集めるオリンピックイヤーです。前回の東京五輪は1964(昭和39)年に開催。そこから半世紀以上が経過し、世界も日本も大きく変わりました。
前回の五輪開催は、戦災から復興した姿を世界に見せるという意味合いが含まれていました。戦後の復興は、敗戦国が短期間で奇跡的に経済成長を遂げたことをアピールする狙いもありました。そうした戦後復興を住宅面から支えたのが、団地です。

東京は焼け野原と化したために、満足な家屋に住める人はほんの一握りでした。住居を失った人々は、自力でバラック小屋を建てて生活の再建を目指します。また、親を失った戦災孤児も多く、住居をどうにかできなかった子どもは地下道などをねぐらにしていました。戦後の一時期は劣悪な住環境を強いられていたのです。
住宅問題の解決に動いた鳩山首相
劣悪な住環境の改善は、戦後日本が再出発するのに喫緊の課題でもありました。住宅難は東京だけの問題ではなく全国的な問題ですが、戦争で家や財産を失った人々が終戦後に食と職を求めて東京に集まりました。また、地方に疎開していた人たちも東京に戻ってきました。そのため、東京は地方よりも深刻な住宅不足に陥ってしまったのです。
安心して生活できる住宅がなければ、人は働くことができません。働くことができなければ、金を得ることができず、金を得られなければ、日本経済は再生しません。つまり、戦後日本が陥っていた負のスパイラルは、住宅問題が根源だったといえます。
この難問解決に動いたのが、1955(昭和30)年に首相に就任した鳩山一郎です。鳩山首相は住宅を供給するために、日本住宅公団を設立します。
各地方自治体も住宅局や住宅供給公社などで公営住宅を建設。日本住宅公団や地方自治体は、賃貸型集合住宅と分譲型一戸建ての2タイプの集合住宅をつくりました。どちらも一般的に団地と呼ばれる集合住宅ですが、団地と聞いたときに多くの人がイメージするのは前者の賃貸型集合住宅でしょう。

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