故人がくれた絶世の「どら焼き」をもう一度 探し求めて神保町を歩いた日【連載】散歩下手の東京散歩(5)

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故人がくれた絶世の「どら焼き」をもう一度 探し求めて神保町を歩いた日【連載】散歩下手の東京散歩(5)

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友田とん

代わりに読む人 代表

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散歩とは、目的を持たずに歩くことも、寄り道しながら目的地を目指すことも、迷子になってしまうことも、迷子になりたくなくて右往左往することも、すべて包み込む懐深い言葉。出版レーベル「代わりに読む人」代表で編集者の友田とんさんが、いつか食べた記憶の中どら焼きを求めて神保町の街を歩きました。

ひょんなことで出合った、記憶の中の味

 何年も前のことですが、まだ半袖でも平気な暖かい秋口の夜、千代田区・神保町のとある小さな出版社から連絡をもらい、打ち合わせのために赴きました。

 地下鉄の出口を出て、教えてもらったとおりに大通りから細い道を入ると人通りもなくあたりは暗くて、ぽつんぽつんとある電灯がところどころ地面をほの白く照らしていました。

 建物の前まで行くと、電柱の脇でタバコを吸う年配の男性と一瞬目が合い、やや間があって相手は、

「ひょっとして友田さんですか?」

と言いました。その人が連絡をくれた編集者さんだったのです。

 部屋に案内してもらい、2時間ほどもあれこれ話をしたのだったでしょうか。書いている文章の話から、話題はイタリア、活版印刷、日常観察、街歩き、池袋モンパルナスと興味の赴くままに移っていきました。

 デスクの上には出版された本や書類、文房具などとともにセロハンで包装されたどら焼きの入った木の器がありました。話をしながら、私の視線がそのどら焼きにしばしば注がれているのに気づいたからでしょうか。その編集者さんは、

「よかったらどうぞ」

と言ってどら焼きを勧めてくれました。

 私は甘いものに目がありません。話しながら包装を剥き、どら焼きを口に割り入れました。あっさりとしたあんこがおいしいどら焼きでした。

地図を頼りに、1軒1軒訪ね歩いた神保町

 あれはいったい、どこのお店のどら焼きだったのでしょうか? しかし、そのことをもう聞くことは叶いません。私がその出版社の部屋を訪ねたのを思い出したのは、その編集者さんの訃報を耳にしたからです。

 ところで、そのどら焼きと「散歩下手」の東京散歩にいったいどんな関係があるのでしょうか。それはもちろん大有りなのです。なぜなら、私はあの編集者さんが勧めてくれたどら焼きを求めて神保町を訪ねたからです。

あのとき編集者の男性が勧めてくれたどら焼きを、また食べたくて神保町の街を歩いた真夏の日(画像:友田とん)



 あのどら焼きを求めて神保町を訪ねたのはまだ真夏で、Tシャツ1枚の姿の私は地下鉄を降りると、階段を上り神保町の交差点に立っていました。

 Google Mapsを頼りに、どら焼きを売っている和菓子店を順に訪ねていきます。出版社でどら焼きをいただいたときに、包みに印刷された店の名前や住所を読んだような気もします。

 神田とか神保町あたりの住所だったような気はするのですが、具体的な名前や住所は思い出せません。近くだけれど、「さゝま」ではないな、どら焼きだけど「うさぎや」(台東区上野)でもないなと思った記憶があります。

 1軒目は交差点近くの「亀澤堂」。スプレーでアルコール消毒して、中に入り店員さんに聞くと、どら焼きはもう品切れですとのこと。あら、残念。と、そこであんこの特徴を聞いて確認してみればよかったのかもしれませんが。

 それから、靖国通りを三省堂書店の方まで行き、交差点を渡った向こう側の角に「嘉祥庵」と大きな看板が出ていて、どら焼きを売っていたので、バラでひとつだけ買い求めました。

なぜかあんこだけははっきり覚えていた

 カバンにしまうと、また横断歩道を渡り、通りかかった東京堂書店で少し本を見て、そのまますずらん通りを歩いていきます。

 うっかりすると通り過ぎてしまいそうですが、そこにもまた和菓子店が1軒あり、ガラス扉の中に入ると、どら焼きが盛ってありました。やはりここでもどら焼きをひとつバラで買い求めました。

 さて、帰宅してどら焼きを食べてみます。もちろん一度には食べられませんから、時間をおいて食べてみます。どれもおいしい。けれど、口に入れた瞬間にこれはあのどら焼きではないなと気づきました。

神保町の交差点。古書店や出版社、それからどら焼きを売る和菓子店がいくつも(画像:友田とん)



 あんこが硬めで、粒もしっかりしているし、ずっと甘い。記憶の中のどら焼きは、あんこがもっとさらっとしていました。言ってみれば、こしあんのようなつぶあんだったのです。このしっかりとしたつぶあんではありません。

 しかし、店の名前も覚えていないのに、あんこがどんなだったかは、はっきりと覚えているというのも不思議なものです。ということはあの品切れだった店が件(くだん)のどら焼きだったのでしょうか?

 またひと月ほどして、用があって神保町に行きました。着いたのは昼過ぎだったので、昼食には「いもや」に並んで天ぷらを食べました。ご飯は少なめで。みそ汁に入った細かいさいの目切りの絹ごし豆腐がおいしい。

 それから用事を済ませて、前回は売り切れていた亀澤堂を訪ねると、それほど早い時間ではなかったのですが、その日はまだちゃんとどら焼きがありました。

ただどら焼きを探し求めた散歩の結末

 私はバラでどら焼きをひとつ買い求めたのです。買うときに、あんこの特徴を聞いてみてもよかったのかもしれません。そうすれば、「それはきっとうちのどら焼きですよ」と答えてくれたかもしれません。

亀澤堂。あの出版社から一番近くの和菓子店だった(画像:友田とん)



 しかし、私はそんなことは聞かずに、ただ黙って買って帰り、そして家に帰ってから、ひとりお茶を入れてから食べてみました。そして、そのどら焼きこそがあの、編集者さんが出してくださったどら焼きだったのです。

 ああ、あの出版社の建物から一番近い和菓子店のどら焼きだったのだと私はそのときになって初めて気づいたのです。

 いつもは散歩するなら目的などなしに、気の向くままに街を歩いてみたらいいなどと私は言っているものですが、あのどら焼きはどこのどら焼きだったのだろうか? と求めて、目的をもって歩いてみても、またいいものなのかもしれません。

 また思い出したらあのどら焼きを買いに行ってみようと思っています。

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