開業から110周年 なぜ渋沢栄一は日比谷に「帝国劇場」を作ったのか
2021年1月5日
知る!TOKYO2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公として注目される実業家・渋沢栄一。そんな渋沢は近代日本を象徴する帝国劇場の開業を主導したことでも知られています。フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。
2021年で開業110周年
帝国劇場(千代田区丸の内)が1911(明治44)年、東京・丸の内と日比谷の境となる一画にオープンしました。2021年は、帝国劇場110周年という節目です。

開場から110年を経た帝国劇場は日比谷公園からも皇居からも近く、その周辺には多くの緑をたたえます。超一等地ともいえる都心にありながら、豊かな自然が多く残るエリアに所在しています。
帝国劇場は近隣の日生劇場(同区有楽町)、東京宝塚劇場(同)とともに有楽町・日比谷の劇場街を形成し、東京の、そして日本を代表する劇場として日本の興行界をけん引してきました。
現在の帝国劇場は東宝が運営を担っていますが、当初は日本に劇場文化を根付かせることを夢見た政財界人から多大な支援を受けて開業しています。
開業を主導した渋沢栄一
帝国劇場の開業を主導したのは、2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一です。

幕末、徳川慶喜の弟で御三卿のひとつでもある清水徳川家の当主だった徳川昭武は、将軍の名代として1867年のパリ万博へと派遣されました。幕臣として慶喜に仕えていた渋沢は、会計担当者として昭武に随行します。
渋沢はパリで多くのモノやシステムを学びました。銀行や株式市場など、それらが日本の近代化を進め、現在に至る資本主義という考え方を浸透させています。
また渋沢はパリ滞在中、経済・金融というシステムだけではなく、市民の間で盛んだった美術・芸術面にも関心を示しました。
日清・日露戦争に勝利した日本は、明治新政府発足以来の懸案だった関税自主権を回復。大国・ロシアに戦争で勝利し、関税自主権を回復させたことにより、政府関係者たちは日本が世界の一等国に肩を並べたと自負しました。
しかし、それはあくまでも軍事力・経済力の話に過ぎません。文化・芸術も国力を測るバロメーターのひとつです。
文化や芸術は、一朝一夕で社会に浸透させることはできません。また、政財界という一部の人間だけが文化・芸術を楽しんでいるだけでは、文化・芸術が深まっているとはいえません。一般庶民でも美術・芸術を気軽に楽しめるような環境にならなければ、文化大国・芸術大国になったとはいえないのです。

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