GLAY、ユニコーン、ヤマタツ……冬の代名詞「雪」は過去の名曲でどのように歌われてきたのか

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GLAY、ユニコーン、ヤマタツ……冬の代名詞「雪」は過去の名曲でどのように歌われてきたのか

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太田省一

社会学者、著述家

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昭和から令和まで、雪にまつわる曲は多く生まれてきました。そんななか、東京に絡んだ雪がまつわる曲について、社会学者の太田省一さんが解説します。

雪といえば演歌?

 いよいよ冬本番です。ということで今回は、東京に絡んだ雪がまつわるヒット曲をいくつか振り返ってみたいと思います。

GLAY「Winter,again」(画像:ユニバーサルミュージックジャパン)



 雪と言えば、北国のイメージでしょうか。特に演歌の世界では、定番になっていると言えます。なかでもぱっと思い浮かぶのが、やはり石川さゆり『津軽海峡・冬景色』(1977年発売)でしょう。

 男性と別れ、ひとり北へ帰ろうとする女性の心象風景を描いた阿久悠の詞は名人技。「上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中」という出だしから一気に曲の世界に引き込まれます。ここでの雪景色は、「こごえそうな鴎(カモメ)」に自分を重ねてしまう女性の悲しみを引き立てる絶妙の舞台装置になっています。

 この『津軽海峡・冬景色』は『NHK紅白歌合戦』で繰り返し歌われている曲でもあり、2019年までになんと11回も披露されています。そして千昌夫『北国の春』(1977年発売)も、似たような意味で話題になった一曲。ロングヒットとなった同曲は、1977年から3年連続『紅白』で歌われたという珍しい記録を持っています。

『北国の春』は、都会にいる男性が母親から送られてきた小包を見て故郷を思い出す望郷歌。都会がどこかは歌詞では具体的にはなっていませんが、岩手出身の千昌夫がテレビでは出稼ぎ姿で歌ったこともあり、自然と東京がイメージされます。ちなみにB面は「東京のどこかで」という曲でした。季節は春先ということで、「雪どけ せせらぎ 丸木橋」という歌詞が出てきます。

鉄板の山下達郎「クリスマス・イブ」

 もちろんJ-POPでも、雪は歌われています。

 ミリオンセラーになったGLAY「Winter,again」(1999年発売)はそのひとつ。歌詞のなかには、何度も「雪」が出てきます。それもそのはず、この曲はJR東日本が展開する「JR SKI SKI」のキャンペーンソングで、「愛に雪、恋を白」というコピーが記憶に残る吉川ひなの出演のテレビCMでも流れました。

 詞には東京という言葉は直接出てきませんが、「いつか二人で行きたいね 雪が積もる頃に」というフレーズからも、東京からの新幹線でスキー場に向かうカップルの姿が目に浮かびます。「どこまでも限りなく 降りつもる雪とあなたへの想い」というサビが印象的なglobe「DEPARTURES」(1996年発売)も、「JR SKI SKI」のキャンペーンソングでした。

 同じJRのCMソングということで、山下達郎「クリスマス・イブ」にもやはり触れないわけにはいきません。

 1983(昭和58)年発売のこの曲が一気に知れ渡ったきっかけは、1988年深津絵里が出演したJR東海「ホームタウン・エクスプレス X’mas編」のCMソングになったことでした。

JR東海「クリスマス・エクスプレス」(画像:東海旅客鉄道、日本映画専門チャンネルホームページ)



 CMでは、遠距離恋愛中のカップルが新幹線のホームで再会する様子が描かれます。そこに流れる「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう」という山下達郎の透き通った歌声は、このうえなくロマンチックな趣を添えるものでした。同曲は、翌年牧瀬里穂が出演した「X’mas EXPRESS’89」のCMでも流れ、定番のクリスマスソングになりました。

 一方、普段あまり降らない東京の雪には、それだけで詩情をかきたてるものがあります。

 1970年代を代表するフォークソングのヒット曲「なごり雪」は、そんな詩情を感じさせる曲の筆頭と言ってもいいでしょう。元々はかぐや姫のアルバムに収録されていた曲ですが、1975年イルカがカバーしてヒット。長く歌い継がれる一曲になりました。

 季節は春。一組の男女が「季節はずれの雪」が降る駅のホームでいま別れ、離ればなれになろうとしています。「東京で見る雪はこれが最後ね」とさみしそうにつぶやく女性。そして汽車に乗って旅立つ彼女を見送る男性は、いまさらのように彼女が「去年よりずっと きれいになった」ことに気づきます。

 タイトルの「なごり雪」は作詞した伊勢正三の造語なのですが、この情景にあまりにぴったりで、ずっと前からあった言葉のように感じられます。

コロナ禍に聞く雪の歌

 そしてもう一曲、ユニコーン「雪が降る町」(1992年発売)にも触れましょう。

ユニコーン「雪が降る町」(画像:ソニー・ミュージックエンタテインメント)



 年末の忙しいなか、男性の暮らす町にも雪が降ってきます。「今年は久しぶり 田舎に帰るから 彼女になんか土産でも」と思う彼は、おっくうに思いながらも街に出掛けます。

 ただそれだけを歌った曲なのですが、「僕らの町に 今年も雪が降る」と歌う奥田民生ならではのゆったりとした気だるげなボーカルには独特の味わいがあり、まったく飽きさせません。実際にバンドメンバーとともに広島から上京した経験を持つ奥田民生が、東京の師走の町を歩く風景がまざまざと目に浮かびます。

 この曲は、井上陽水が奥田民生の詞に感心し、ふたりの交流が始まるきっかけになったことでも知られています。その後ふたりは関係を深め、奥田民生がプロデュースするPUFFYのデビュー曲「アジアの純真」(1996年発売)を共作しました。また「これが私の生きる道」(1996年発売)のB面では、PUFFYが「雪が降る町」をカバーしています。

「雪が降る町」は、最後「あと何日かで 今年も終わるけど 世の中はいろいろあるから どうか元気で お気をつけて」という詞で締めくくられます。

 コロナ禍で過ぎたこの1年。その終わりに改めて聞くと、なんとも言えずこころに染みるものがあるのは私だけではないかもしれません。

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