詩人・金子みすゞに学ぶ、現代の主婦像 「みんなちがって、みんないい」
日本の家庭の3分の2は共働き世帯 姑が棚の上に指を這わせるとホコリがかすかにつき、「掃除が行き届いてない!」と嫁を叱責する――。こういった場面は昭和のドラマのワンシーンだけでなく、当時の一般的な家庭にあった緊張感を表しています。 現代的な「主婦としての振る舞い」とは(画像:写真AC) わずかなホコリさえ許されない時代、主婦の役割は家事と育児を完璧にこなすことでした。夫が夜中に突然、会社の同僚を家に大勢連れてきても、笑顔で料理を作り、愛想良くお酒の支度をするのが「できる主婦」の姿。主婦といえば、専業主婦を指した時代の画一的な価値観といえるでしょう。 一方、画一的であるため、主婦としての振る舞いはある程度共通パターンがあり、分かりやすい社会だったと思います。 しかし、今や日本の家庭のおよそ3分の2は共働き世帯です。主婦という言葉から連想されるイメージも、専業主婦だけでなく、仕事と家庭の両立を希望する主婦を含んだ形へと広がりました。それにもかかわらず、主婦は「家事と育児を完璧にこなさなければならない」という価値観の残像が払しょくされた訳ではなく、今も目の前にチラついています。 すでに日本は、このような価値観があった時代とは異なる国へと変貌を遂げています。 男女の大学進学率は、そんな変化の象徴のひとつです。内閣府の男女共同参画白書によると、1965(昭和40)年に4.7%だった女性の四年制大学進学率は、平成29年に49.1%と10倍以上に増えています。 1986(昭和61)年には男女雇用機会均等法が施行され、総合職としてキャリアを積む女性が増えました。結婚・出産しても働き続ける女性は珍しくなくなり、寿退社という言葉は今や完全に死語となっています。 主婦像の「正解」が多様化している主婦像の「正解」が多様化している もはや、主婦は家事に専念し、完璧にこなすという価値観だけで測ることはできません。主婦としての「あるべき振る舞い」を共通パターンに当てはめづらくなっているのです。 それは一見、気楽で自由な状態のようにも見えますが、周囲の理解が伴わないと、とても生きづらい環境だと言えます。 価値観は時代とともに変わる(画像:写真AC) 共働きが当たり前にもかかわらず、過去の価値観のまま、完璧な家事と育児も求められる。一方、結婚・出産後も総合職として培ったキャリアを継続・発展させていきたいと思っても、条件に合う仕事はなかなか見つからない。あるいは、家庭の事情で働きたくても働けず、女性活躍推進が叫ばれる世の中になぜか後ろめたさすら感じてしまう。 主婦という「くくり」はあっても、価値観の多様化が進めば進むほど、正解の形も多様化し、あるべき「主婦像」について共通認識を持つことは困難になります。 それは見方を変えると、価値観の異なる者同士が、互いを理解できず、ともすると互いを否定し、傷つけ合う社会へと陥る危険をはらんでいます。 みんなちがって、みんないい? 大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人・金子みすゞさん(1930年没)の代表作のひとつ、私と小鳥と鈴と」(『わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集』に収録)は、そんな過渡期にある今だからこそ、心に留めておきたい詩です。内容は次のようなものです。 私は小鳥のように空を飛べないけれど、小鳥は私のような速さで走れない。私の体からは鈴のように綺麗な音は出ないけど、鈴は私のようにたくさんの歌を知らない。鈴も小鳥も私もそれぞれ違いがあるが、それぞれの良さがある。 この詩の最後は「みんなちがって、みんないい」で締めくくられます。素敵なフレーズです。価値観の多様化が進む現代こそ、必要なメッセージといえるのではないでしょうか。 ひと言で「主婦層」といっても、置かれている状況や夫婦関係、家事、育児、仕事への考え方はさまざまです。主婦であることに誇りを持っている人もいれば、主婦とくくられることに抵抗を覚える人もいます。それぞれ、「みんなちがって、みんないい」はずです。 多様化がさらに進み、社会に浸透し、「主婦像」が人それぞれ異なる状態が当たり前になれば、主婦というくくりは必要なくなるかもしれません。 また、価値観の多様化が進んでいるのは夫も同じです。夫は「外に出て稼ぐもの」という過去の価値観は、社会からの暗黙のプレッシャーとなり、今も彼らを拘束しています。「本当は主夫として家庭を支えたい」と考えている夫もいるはずです。 主婦も主夫も、あなたも私も、他の誰かも、それぞれが「みんなちがって、みんないい」。 それが、今を生きる私たちが心がけておくべきスタンスなのだと思います。
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