なぜか装甲車が登場! 石原プロ解散に見る「昭和テレビドラマ」の圧倒的な豪快さ
2020年7月22日
ライフ先日解散を発表した、石原プロモーション。同プロはかつて都内の信じられないような場所で、信じられないものを使ってロケを行っていました。いったい何でしょうか。ライターの橘真一さんが解説します。
映画制作会社兼芸能プロだった
先日、石原プロモーション(以下、石原プロ)が、2021年1月16日(土)をもって、その看板を下ろすことを発表しました。
石原プロはもともと、大手映画会社「日活」の専属だった俳優・石原裕次郎が、独自の映画製作を目指し、1963(昭和38)年に設立したもので、映画製作会社と芸能プロダクションの機能を兼ねた会社でした。

芸能プロとしては、現在は渡哲也、舘ひろし、神田正輝、徳重聡らが所属し、かつては浅丘ルリ子、寺尾聰、峰竜太、石原良純らも籍を置いていました。
一方、製作会社としては創業当初に、
・『黒部の太陽』(1968年)
・『栄光への5000キロ』(1969年)
などの映画をヒットさせています。
ところが、70年代になると映画業界全体の業績悪化もあり、経営が厳しくなったことから、テレビドラマ製作にシフトチェンジ。テレビの世界で、また成功を収めることになります。
荒唐無稽だからこそ面白かった作品の数々
石原プロが手掛けたテレビドラマの代表作として伝説化しているのが、1979(昭和54)年から約5年間放送された『西部警察』(テレビ朝日系)シリーズ三部作です。
これは、東京の凶悪犯罪が多いエリアにある「西部警察署捜査課」の刑事たちの活躍を描いたアクション刑事ドラマでした。

渡哲也、舘ひろし、寺尾聰らが演じる刑事たちが所属する西部署は、あくまで所轄署なのですが、警察組織内でなぜか特別扱いされていました。本庁からの干渉を受けることなく、最新テクノロジーを駆使したスーパー車両が用意され、拳銃以外にも、散弾銃、カービン銃などを発砲し放題。
また、管轄の枠を超えて全国各地で捜査や容疑者追跡を行うことも。つまり、細かいことをヌキにした娯楽性重視の内容が魅力だったのです。
さらに、派手な銃撃戦やカーアクション、爆破シーンが毎回のように展開されるなど映画並みのスケール感があり、それこそが石原プロ作品の醍醐味(だいごみ)だといえました。

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