目黒駅はなぜ品川区にあるのか? 真偽が入り混じった歴史背景をひも解く
2020年11月22日
知る!TOKYO品川駅が品川区ではなく港区にあるのはよく知られた話ですが、実は目黒駅も目黒区ではなく、品川区にあるのをご存じでしょうか。いったなぜでしょうか。フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。
当初は目黒区に造られる予定だった
皆さんは目黒駅のある場所をご存じでしょうか。「目黒」の名前が付いているため、てっきり目黒区にあるのかと思いきや、実は「品川」区上大崎なのです。

そんな目黒駅は1885(明治18)年、日本鉄道品川線(現・山手線)の駅として開業しました。日本鉄道の開通は1883年(上野~熊谷間)で、当時は新橋駅から横浜駅へとつながる現在の東海道線と分かれていました。
分かれていたのは、上野から新橋の間に多くの家が建っており、買収が難航していたためです。しかし日本鉄道にとって、鉄道路線を南へとどうしても延ばさなければならない理由がありました。
それは、当時の日本が外貨を獲得する際に貴重な資源としていた生糸の生産地が北関東に広がっていたからです。生糸を積み出すには港のある横浜へと線路を延ばさなくてはなりません。そこで人口の少ないルートを探して赤羽から分岐した鉄道路線は、現在の埼京線から山手線までの原型として建設されたのです。
当初開業したのは板橋・目白・新宿・渋谷・目黒・品川の6駅。この後、田端~池袋駅間が開通しています。
当時、駅は現在の目黒区に作られるはずで、日本鉄道も品川から目黒まで、目黒川に沿って線路を敷く予定でした。ところが地元の農民が大反対したと言われています。
汽車が走ったら煙や振動で農作物に影響出るに違いない――そう危惧した農民たちはのぼりを立て、ねじり鉢巻きで反対運動を繰り広げたとのこと。
目黒駅はその後、目黒川から離れた権之助坂の上(現在の品川区)に建設されたのです。この出来事は「目黒駅追上事件」と呼ばれます。なお、追上とは坂の上に追い上げたという意味です。

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