逆境をバネに発展する「新宿」は戦争もバブル崩壊も、そしてコロナ禍さえ乗り越える
2020年6月27日
知る!TOKYO新型コロナウイルスの影響で苦境に立たされた全国の繁華街。そのひとつ東京・新宿の歴史をひも解くと、逆境のたびに発展を遂げてきた特長が見えました。フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。
終戦わずか5日後にマーケット誕生
新型コロナウイルスの影響で大きな打撃を受けた繁華街の行く末が心配されています。そのひとつが、常ににぎわいの絶えなかった東京の副都心・新宿です。
しかし、あまりに悲観的になる必要はない気がしています。というのも、新宿はもともと苦境の中にあってこそ成長する街だからです。

太平洋戦争で完全に焼け野原になった東京。その中で、新宿は恐ろしいスピードで戦後復興を遂げました。
新宿の復興スピードは、驚くほどに急ピッチでした。1945(昭和20)年8月20日には「光は新宿より」のスローガンを掲げて関東尾津組組長・尾津喜之助(おづ きのすけ)が仕切る闇市・新宿マーケットが誕生します。
終戦からわずか5日後に闇市が始まったというのが驚きですが、小津が露店の許可を求めて淀橋警察署を訪ねたのは終戦の翌日でした。
これに応じた署長の安方四郎は、賛同し、バックアップを約束します。尾津が同年の10月には東京露店商同業組合の理事長に任命されているように、警察は地域の顔役にマーケットを仕切らせることで、治安維持を期待していたのです。
この新宿マーケットがあったのは、東口の現在の中村屋(新宿区新宿3)などがあるところです。当時は、建物疎開や空襲で靖国(やすくに)通り沿いには細長い空き地がありました。
空き地になっているとはいえ、建物疎開をしただけで所有者はいます。でも、戦後のドサクサというのは恐ろしいもの、警察の公認で不法占拠をしマーケットを開いていたわけです。
中村屋も終戦とともに店を再開しようとしますが玄関がふさがれている状態になってしまったため、ひとまずは裏手の土地を借りて、営業を再開しました。

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